軽い制裁としては、親や仲間から嫌味を言われたりいじめられたりする「中傷」でしょう。これも小説などによくある通りです。
もう一つ特筆しておかなければいけないのは、明治から戦前までは「一夫多妻」の慣習が強くて、上流社会、特に華族や政治家、豪農、豪商では事実上の一夫多妻制だったということです。正妻は取り決めで選ぶけれども、妾というかたちで第二夫人以下は自由に選んでいたのです。
ただイスラム世界と違って、日本では正妻と第二夫人以下は原則として同居しません。別のところに第二夫人以下と子どもを住まわせます。逆に言えば、正妻以外を別のところに住まわせる経済力がなければ、一夫多妻はできなかったというわけです。
明治時代半ばまでの非嫡出子率は、約10%です。つまり、結婚していない女性から生まれた子どもの割合は、生まれた子ども全体のうちの1割ほどでした。
戦前までは未婚の母ではほとんど暮らしていけないので、それはほとんどの場合、一夫多妻の第二夫人以下だった可能性は高く、つまりは10人に1人の子どもは第二夫人以下の子どもだったということです。そこから推定すると、男性の10人に1人が一夫多妻だったということになります。そしてこの割合は、当時の上流~中流階級の割合に相当するのです。つまり、当時の上流~中流階級の多くが一夫多妻であったと言うこともできるわけです。