ただ同じインテリでも、森鴎外のように、留学先のドイツの女性と恋愛して結婚しようとしたけれども、結局はイエの圧力に負けてイエ同士の「取り決め」の結婚をするというパターンが圧倒的に多かったのです。

 日本では、明治から戦前まで社会の基盤が家業共同体であるイエにあったので、結婚はイエの継続を第一の目的としていました。

 基本的には長男が嫁を取ってイエの跡を継ぐ、男子がいなかった場合は長女に婿を取るという「長子単独相続」です。子どもがいなければ、夫婦養子を取りました。そうしたかたちで、家族というものがイエを継承することを第一の目的としていたので、結婚もそれに従っていたわけです。

 法律的にも、本人同士が結婚に合意していても、跡取り同士(戸主同士)の場合は「親の承認」を得ないと結婚できませんでした(「明治民法」には、第七百五十条「家族カ婚姻又ハ養子縁組ヲ為スニハ戸主ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス」、第七百七十八条「婚姻ハ左ノ場合ニ限リ無効トス 一 人違其他ノ事由ニ因リ当事者間ニ婚姻ヲ為ス意思ナキトキ」などの条文がある)。

 また離婚に関しても、本人同士が離婚したくなくても、親が強制的に離婚させるということは一般的に行われていたわけです。

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戦前の上流階級では一夫多妻制も