一方、長子でなければ、法律的には自由でした。男性30歳・女性25歳以上は親の同意が不要で、自由に結婚相手を選べたわけです(明治民法 第七百七十二条「子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス但男カ満三十年女カ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス」)。西洋化をはかった大日本帝国憲法には「居住・移転の自由」があり、これに「職業選択の自由」も含まれているとみなされました。
けれども、社会的・経済的条件というものがあって、法律という形式が整っていたとしても実情は異なるわけです。たとえば経済的には、基本的にどちらかの家業が本人の仕事となるので、「仕事がある・ない」という問題が生じるのです。
イエは経済的基盤と連動していました。結局は、家業を継承するために結婚相手を選ぶということが、結婚の基本となるわけです。
ただし、この基本には、階層格差が大きく影響します。
上流~中流階級の結婚は、イエの継承にふさわしい結婚相手でなければ不可能でした。だから親の介入、つまり「取り決め」は当たり前の世界です。そしてその裏側に、男性は本妻以外の女性と恋愛して、時には第二夫人にしてもかまわないという「一夫多妻」的な慣習があったわけです。