その手紙に、高等科の同級生らと岩手県の八幡平へ登山に行き、宿に泊まった夜を詠んだ和歌がつづられていたことがあった。
《消燈を過ぎれどもなほ騒ぎたる我らに熊の一声“はよ眠れ”》
みんなで同じ部屋に泊まることがうれしくて夜中まで騒いでいたら、友人に一喝されてシュンとなってしまった、という場面だが、和歌には丁寧な英語で解説が添えられていたという。
英語の手紙を送った相手は、友人にとどまらない。1989年には英国留学中に交流のあったサッチャー首相(当時)に、英語の研究論文集「The Thames as Highway(交通路としてのテムズ川)」を手紙とともに送っている。
「私を見ている」と感激する目線
しかし、注目すべきは語学力の高さだけではない。
かつて記者は、少年から青年期にかけて陛下の「臨時家庭教師」を務めた比較文化史研究者の芳賀徹・東京大名誉教授から、こんな話を聞いたことがある。
芳賀さんは東大・駒場キャンパスの複数の教授陣に声をかけ、民族学者の大林太良氏、科学史の伊東俊太郎氏、万葉学者である五味智英氏といった、そうそうたるメンバーが東宮御所で「家庭教師」の役を担った。