太平洋戦争では1944年7月にサイパン、8月にグアムの守備隊が玉砕すると、米軍の攻撃目標はパラオ本島から南へ40キロに位置するペリリュー島へ。日米両軍の戦死者は1万2千人以上に及んだという。
ペリリュー島を訪れた上皇ご夫妻は、戦没者の碑に日本から持ってきた菊の花を捧げた。そして、海に浮かぶもう一つの激戦地、アンガウル島のほうへ歩を進めた。
「あそこね」
上皇さまが美智子さまに声をかける。静かに顔を見合わせ、島へ一礼した。
このときの情景を、上皇さまは和歌に詠んでいる。
《戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ》
翌2016年の「慰霊の旅」は、フィリピンへ。フィリピン側の死者は110万人以上、日本側は50万人以上にのぼり、いまだ帰らぬ遺骨は30万人以上に及ぶ。
皇室医務主管を務めた故・金沢一郎氏は、かつて筆者にこう語った。
「昭和の惨劇で、命を落とした人々への鎮魂は、両陛下にとって生涯を通じた仕事なのでしょう」
佳子さまが引き継いだ「祈り」
19年に令和の天皇陛下へと代替わりが行われた。皇室も高齢化が進み、式典で祈りを捧げる役目は、戦争を体験していない世代に引き継がれた。