式典における天皇と皇后の滞在時間は、30分程度と長くはない。「おことば」も毎年ほぼ同じだが、社会情勢などを鑑みて、表現にわずかな変化が出る。
全国戦没者追悼式は政府が主催し、戦後7年の1952年に初めて、昭和天皇と香淳皇后を迎えて新宿御苑で開かれた。このときの昭和天皇による「おことば」は、戦争でもたらされた苦しみや悲しみの渦中に人々がまだいることが伝わるものだった。
「今次の相つぐ戦乱のため、戦陣に死し、職域に殉じ、また非命にたおれたものは、挙げて数うべくもない。衷心その人々を悼み、その遺族を想うて、常に憂心やくが如きものがある。本日この式に臨み、これを思い彼を想うて、哀傷の念新たなるを覚え、ここに厚く追悼の意を表する」
59年に2回目、63年の3回目以降、定期的に開催される国の行事となった。
1980年、天皇の「おことば」に変化が起きた。さまざまな式典などで述べられる天皇の「おことば」のうち、全国戦没者追悼式だけが唯一「である」調のままだったが、「です」「ます」調に変わったのだ。
「威圧的だ」という声の一方で「威厳がある」との意見もあり、宮内庁としても議論の末の決断だった。
そして平成へと移った89年の式典でも、「おことば」に変化が起きた。