昭和天皇が「終戦以来すでに41年、この間、国民の努力により国運の進展……」としていた表現が、「終戦以来すでに44年、国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の平和と繁栄」と改められた。また、昭和天皇が「今もなお、胸がいたみます」としていた表現が、人々に寄り添う「深い悲しみを新たにいたします」という言葉になった。

パラオを訪問したときの上皇さま、上皇后さま=2015年4月、JMPA

「サイパンならばどうか」と上皇さま

 小さく見えた変化は、上皇さまの強い決意の表れであり、戦争の犠牲者のために祈り、平和を希求する「慰霊の旅」を実現させる布石だった。

 戦後50年にあたる95年、上皇ご夫妻の「慰霊の旅」が始まった。

 おふたりは、長崎、広島、沖縄、東京大空襲の慰霊施設を訪問。さらに上皇さまは、激戦地のマーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオへの訪問を希望していると、当時の渡辺允侍従長へ伝えた。

 交通手段や宿泊施設の問題から断念することになったが、それでも「慰霊の旅」への思いは強かった。

「では、サイパンならばどうか」

 戦後60年の節目である2005年にサイパン、さらに10年を経て15年のパラオ訪問へとつながった。
 

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慰霊の旅