昭和天皇が「終戦以来すでに41年、この間、国民の努力により国運の進展……」としていた表現が、「終戦以来すでに44年、国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の平和と繁栄」と改められた。また、昭和天皇が「今もなお、胸がいたみます」としていた表現が、人々に寄り添う「深い悲しみを新たにいたします」という言葉になった。
「サイパンならばどうか」と上皇さま
小さく見えた変化は、上皇さまの強い決意の表れであり、戦争の犠牲者のために祈り、平和を希求する「慰霊の旅」を実現させる布石だった。
戦後50年にあたる95年、上皇ご夫妻の「慰霊の旅」が始まった。
おふたりは、長崎、広島、沖縄、東京大空襲の慰霊施設を訪問。さらに上皇さまは、激戦地のマーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオへの訪問を希望していると、当時の渡辺允侍従長へ伝えた。
交通手段や宿泊施設の問題から断念することになったが、それでも「慰霊の旅」への思いは強かった。
「では、サイパンならばどうか」
戦後60年の節目である2005年にサイパン、さらに10年を経て15年のパラオ訪問へとつながった。