こうした言葉が飛び交う集会の、どこが「慰霊祭」なのだろう。ちなみに「そよ風」はブログにおいて〈私たちは虐殺を否定しているのではありません(中略)。6000人(という数)に疑義を呈しているのです〉と書いてはいる。だが、当日の発言者の言葉からは、そのような見解はほとんど聞かれなかった。まさに「虐殺がなかった」ことだけを訴えたいがための「イベント」だったのではないか。
虐殺否定ばかりを強調する「慰霊祭」からは、追悼も、慰霊も、ほとんどその思いを感じることはできない。
「慰霊祭」を主催した者たちの真の狙いは、おそらく朝鮮人犠牲者追悼碑の撤去と、虐殺の事実を歴史から消し去ることであろう。
追悼文送付を取りやめた小池知事の「判断」は、そこに同調したものではないのか。
2023年は関東大震災から100年という節目の年にあたる。
それは同時に、震災直後の朝鮮人虐殺から100年経ったことをも意味する。
虐殺の犠牲者は眠れない。100年を迎えるいまでも、デマと悪罵が静穏な時間を奪う。そして、幾度も殺される。
そうした時代だからこそ、もうひとつ重要なことも伝えたい。
震災直後に殺されたのは、朝鮮人だけではなかった。中国人が、そして――沖縄県民が犠牲となったのである。