しかし、それはさらなる悲劇の始まりとなった。強風で煽られた炎は巨大な竜巻となって、避難民の衣服や持ち込んだ家財道具に飛び火した。四方から襲った火煙に、人々が呑み込まれた。誰もが避難場所だと信じた空き地は、たちまち阿鼻叫喚の様を呈した。

 ここで約3万8千人もの人々が命を落としたという。

 以来、横網町公園は慰霊の地となった。亡くなった被災者の霊を供養するための慰霊堂がつくられ、毎年、震災が発生した9月1日には同所で都慰霊協会主催の大法要が営まれている。

 そして74年からは、同公園内の慰霊堂に近接した一角で、もうひとつの「法要」がおこなわれるようになった。

「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」だ。

 文字どおり、震災直後に虐殺された朝鮮人を追悼するものである。

 震災直後、関東各地で「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「暴動を起こした」といったデマが流布された。デマを信じた人々によって多くの朝鮮人が殺された。

 震災をきっかけに引き起こされた、もうひとつの「惨事」である。

 この朝鮮人虐殺について、内閣府の中央防災会議は、2008年にまとめた報告書のなかで、次のように記している。

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大規模災害時に発生した最悪の事態