関東大震災直後、デマによって引き起こされた朝鮮人虐殺を、近年否定する動きがみられる。勢いとインパクトのある言説がネット上に流布され、「事実」として受け入れられていく危うい現代。今、歴史がなかったことにされようとしていると日本社会に警鐘を鳴らすのが、ジャーナリストの安田浩一氏だ。安田氏が上梓した『なぜ市民は"座り込む"のか――基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶』(朝日新聞出版)から一部を抜粋、再編集し、その現状を紹介する。
* * *
大相撲で知られる両国国技館から本所方面に向かって歩くと、緑の木々に囲まれた公園にたどり着く。東京都立横網町公園(墨田区)だ。
敷地の一角に置かれた鉄の塊は、1923(大正12)年に起こった関東大震災による火事で溶解した機械類である。焼け焦げて原形をとどめない鉄の塊は、この場所で起きた惨状を物語る。
かつては旧日本陸軍の被服廠(軍服などの製造工場)があった場所だ。100年前、ここを公園に整備するための工事がおこなわれているさなか、震災が発生した。公園として機能する前のただの空き地に、震災の火の手から逃げてきた人々が殺到した。住宅密集地のなかに設けられた広大な空き地だ。避難場所として、そこが適地であると彼らが判断したのも当然だ。