夏の甲子園大会では、渋滞に巻き込まれた応援団が試合に間に合わなかったアクシデントなど、グラウンド外での事件もいくつか起きている。今回は球児たちが泊まっている宿舎で起きた3つの事件を紹介する。
甲子園初出場のチームが集団食中毒にかかる事件が起きたのは、1978年。
激戦区・千葉を勝ち抜き、創部8年目の初出場を実現した我孫子ナインは8月1日、甲子園で初練習を行った。
その一人、1年生ながらサードのレギュラーになった和田豊(元阪神)は「イレギュラーバウンドがないので、安心してプレーできそうです」と語っている。
ところが、翌2日、宿舎で全員が食中毒にかかり、エースの武藤信二が入院するなど、「はたして試合ができるのか?」という深刻な状況に陥った。
幸い初戦の豊見城戦は大会5日目の8月12日だったので、その間にナインも回復し、何とか間に合ったが、もちろん体調は万全とは言えない。
そんな厳しい状況のなか、我孫子は6季連続出場の常連校相手に大健闘を見せる。2点をリードされた4回、先頭の和田が左中間を深々と破る三塁打を放ち、2本のタイムリーで試合を振り出しに戻した。
中盤以降は、武藤、神里昌二の両エースの投手戦となり、2対2のまま延長戦へ。だが、武藤は退院後の投げ込み不足から、しだいに疲れが色濃くなる。
そして、10回に連打と四球で無死満塁のピンチを招くと、4番・石嶺和彦(元阪急-阪神)に決勝の右犠飛を打たれ、無念のサヨナラ負け……。
それでも、食中毒禍を乗り越え、強豪相手に互角に戦った我孫子ナインは、「悔いはありません」(武藤)とやり切った表情で甲子園をあとにした。
宿舎を抜け出した野球部員が喫煙現場を写真誌に激写される事件が起きたのは、1986年。ターゲットになったのは、プロ注目の本格派左腕・近藤真一(元中日)を擁する享栄だった。
開会式を3日後に控えた8月5日午後9時ごろ、登録メンバーの3年生部員2人と登録外の部員2人が宝塚市内の宿舎を抜け出し、近くの公園で喫煙している様子などが、写真雑誌「エンマ」に激写された。