社会階層が上位であれば教育にも恵まれて、成績が下位の階層の子どもたちよりも良くなると思われるかもしれませんが、話はちょっと違うのです。確かに集団全体の平均値を見れば収入の恵まれている層の方が成績は良い傾向にあります。しかし社会階層が高いとは、そのお金を使う自由もあることになります。勉強好きな人はそれを自分の知的活動に費やすでしょうが、そうでない人はそれ以外のところに費やす。その結果、人々の遺伝的なばらつきがより顕著にあらわれて、相対的に遺伝率が高くなるようです。
一方経済的に恵まれていない家庭の子どもたちは、選べる環境にあまり自由度がありません。すると親がどんな環境をつくっているかに大きく影響を受けて、限られた収入を子どもの教育に使おうとする勉強熱心な親と、そのお金を自分が遊ぶために使ってしまうような親とで、子どもの成績も大きく違ってくる。これが共有環境の影響としてあらわれてくるのです。
これは別の見方をすれば、経済的に恵まれていない家庭では、子どもが自分の遺伝的素質を発揮する自由な環境が与えられず、親のつくる環境に大きく左右されるということでもあります。それは決して子どもが本人の遺伝的素質にかかわらず親のしつけや教育に素直に従うという状態とはいえないのは明らかでしょう。こういう環境でも本来、遺伝的素質のある子どもであれば、野口英世のように逆境を跳ね返して優秀な成績を上げることも、ポリジェニックスコア(個人の遺伝子をスコア化したもの)を用いた研究で示唆されています。しかしそうした子はごくまれでしょう。このように経済的に恵まれない家庭には、やはり行政の力でなんらかのサポートをするべきだと思われます。
社会階層が高いと学力への遺伝の影響が大きく出やすいことの理由として、そもそも学習しようというモチベーションの個人差にも、階層による遺伝的な差があらわれていることを示した証拠もあります。平均以上の社会階層の子どもでは、その子のモチベーションに及ぼす遺伝的素質による個人差が顕著に発揮された結果、成績の差となってあらわれているのですね。
この傾向は日本のサンプルを用いた私たちの研究でも再現されました。しかしアメリカではこの傾向が見られるものの、イギリスでは再現されていません。イギリスの社会階層のあり方が日本やアメリカと違うのかもしれません。
安藤 寿康 あんどう・じゅこう
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティ、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている。『遺伝子の不都合な真実─すべての能力は遺伝である』(ちくま新書)、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』『生まれが9割の世界をどう生きるか─遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(いずれもSB新書)、『心はどのように遺伝するか─双生児が語る新しい遺伝観』(講談社ブルーバックス)、『なぜヒトは学ぶのか─教育を生物学的に考える』(講談社現代新書)、『教育の起源を探る─進化と文化の視点から』(ちとせプレス)など多数の著書がある。