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 2016年、オバマ氏と抱擁し、一躍「時の人」となった森重昭氏(86)は、8歳のとき、自らも広島で被爆しながら、これまで1千人を超える被爆調査をたった一人で行ってきた。しかし、自分の調査は正しいのか、相手の話していることは正しいのか、つねに悩んでいたという。手探りの中、ヒントになったのが田中角栄を内閣退陣に追い込んだ「元祖・知の巨人」立花隆氏の手法だった。森氏の著書『原爆の悲劇に国境はない 被爆者・森重昭 調査と慰霊の半生』(森重昭、森佳代子/副島英樹編)から一部を抜粋・改編して紹介する。

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 38歳から調査は日曜、祝日に行いました。一番困ったのは、自分のやっていることが正しいかどうかがわからないことです。私は素人ですから、資料もお金も何もない、指導してくれる人もいない。いろいろなことを調べてたくさんの人の話を聞くんだけども、その人が言っていることが正しいかどうかもわからない。これが一番困ったことでした。そこでヒントになったのは立花隆(ジャーナリスト、評論家)だった。

 立花隆は、自分で新しいことを始めたのではなくて、田中角栄を追い込んだのは今まで新聞や雑誌に出たもの、それから論文になったものなど、ありとあらゆるものを全部調べたんです。そこでわかったことを突きつけた。僕はそれを知ってね。「そうだ! 自分は新しいものを調べようと思ってもできやしない、だけど新聞を調べることはできるぞ」と思って、日本の新聞を全部調べた。週刊誌に載ったものは全部調べた。でも、いい加減なことはしたくない。なにしろ、僕の話は「人が死んだ話」ですからね。間違ったことを言うわけにはいかないから、正確な情報を知らさないといけない。それならどうするか。

 原爆体験記を読む、広島原爆戦災誌を読む、それからNHKが作っている証言ビデオ――これは誰でも貸してくれるので、その調査をやっているときには500本ぐらいあったと思うけどそれを片っ端から、1日5本は貸してくれたのを見ていた。己斐(こい)に関する原爆体験記があれば、2千人分ぐらいは読んだと思う。読んだ後はそれを確かめてみようと、「ごめんください」と訪ねていって裏を取りに行きました。

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被爆調査を1千人以上やったのは世界で僕しかいない