※写真はイメージです。本文とは関係ありません(ncousla / iStock / Getty Images Plus)

 もう一つ例を挙げますとね、蓮照寺という寺があるんです。そこは己斐にありながら、広島市が幼稚園を経営していたところです。そこで爆風で子どもが飛ばされましてね。寺の太い柱に頭をぶつけて、頭蓋骨がぐちゃぐちゃになって亡くなった。いつになっても子どもが帰ってこないから、親は心配していたらしい。そのことを後になって僕は教えたんですよ。「いやあれは、あそこの幼稚園で吹き飛ばされて、僕も吹っ飛ばされたけれど、あなたのところのお嬢さんも吹っ飛ばされて亡くなって、園長先生がおうちに娘さんの遺体を持って行ってあげなきゃいけないのを、あまりにもかわいそうで連れて行けなかったんだ」という話をしました。

 一軒一軒歩いた中には、こんなことを言われたこともあります。(家の人が亡くなったという話をしたとき)奥さんは言いました。「私はそういう連絡受けたとき、便所の中に入って一晩中泣いたんだ」と。そして、その後、私にこう言ったんですよ。「手や足がもがれても、手も足もなくていい。だるまのようになっても帰ってほしかった。生きてほしかった。死んでほしくなかった」。そう言いましたよ、奥さんは。

 また他のところに行ったときには、己斐国民学校の高等科、今は小学校6年生、昔は8年生ですが、高等科の人に陸軍がパイロットの募集をかけていました。先生は、運動能力が優れて頭のいい生徒に目をつけて「ぜひ応募しなさい」と言ったらしい。その子は嫌で嫌でしょうがなかったけれども、あまりにも先生が言うからついに行きました。そして、敵を殲滅(せんめつ)させると言って軍事郵便を送っていました。でもアメリカ軍に全滅させられた。それを勧めた先生が、自分が教えた子どもが死んだと知って、家に行って仏壇の前の畳を何十回もたたき、たたき、たたいて、「悪かった。私が言わなかったら君は死ぬことはなかった」と慟哭(どうこく)していたと、そう言いましたよ。

 それから、みんな幽霊みたいに手を胸のあたりに上げて逃げて来たと言います。どうしてそんな形をしたかはほとんど知られていません。逃げて来た人が、「心臓より手を上に上げたら楽になる」と教えてくれた。心臓より下に手をやったらしんどい。「僕は被爆者ですがそういうことは知りませんでした」と言ったら、そう教えてくれました。僕はこの人たちと同じように逃げたけれど、やけどもしてないし、けがもしていない。でも、その人は大やけどをして、幽霊みたいな手で逃げて来て、のちに僕に教えてくれたのです。

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