もちろんシャワーなんかあるわけがない。とはいえ、全日本プロレスの場合は、会場にシャワーがあってもほとんどの選手がそこでは浴びずに、ホテルに帰ってから浴びていた。新日本プロレスの場合は会場で浴びて帰るらしいし、そもそも新日は環境がヒドイ屋外での興行をほとんどしなかったから、そこでも団体の違いが出ていて面白いよね。

 俺と阿修羅・原が天龍革命をやっていたときは、控室も全日本と分けていたから居場所がなくて、リングを下した後のトラックの中にいたこともあった。他の選手と口をきくのも顔を見るのも煩わしいし、なあなあになるのも嫌だったからね。もちろん移動も別だ。

 阿修羅は近鉄でラグビーをやっていたから電車の時刻表を見ながら「今度の会場はどの駅で降りて~」とチェックをしたりね。会場となる体育館にはそんなに個室があるわけじゃないから、本体よりも先に着いて、会場の片隅に小さなスペースを見つけては「ここを控室にしよう」って、勝手に作ったりしていたよ。

 本体がバスで帰るときも、俺たちは別だけど、困るのは地方に行ったときだ。電車がないどころか、駅もなかったりするからね。そのときはリングを乗せたトラックの荷台に乗せてもらったり、新聞記者の車や手配したタクシーに乗せてもらったりもしていたよ。

 東京近郊で試合があるときは阿修羅と二人で車移動だったけど、レンタカーを手配しなければいけないこともあって、会社(全日本プロレス)に支払ってもらおうとしたら却下されたこともあった。俺たちが勝手にやっていることだから、会社としては金を出せないということだった。このことを愚痴ったら「よし、俺が手配してやろう」と言って、車を用意してくれたのが楽ちゃん(三遊亭円楽)だ。楽ちゃんは漢気があるね!

 車で移動するときの運転はいつも俺。阿修羅は免許を持っていなかったからね。川田(利明)が入ってからは、川田が運転するようになった。天龍革命を始めて2~3年経って、客も入って形になってから、ようやく俺たちにも控室が用意されて、レンタカー代を出してくれるようになった。

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いま思えば、なんであんなに