「環軸椎亜脱臼(かんじくつい あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院し、すでにイベント出演などの予定あり、精力的に活動を再開される。今回は“酒豪”として知られる天龍さんに、相撲時代やプロレス時代の夜の付き合いにまつわる思い出を語ってもらいました。
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相撲もプロレスも夜の付き合いは切っても切れないが、振り返ってみると、その形はまったく違うものだったんだなと思うよ。
まず、相撲取りの自慢話は「スポンサーに連れて行かれてどこそこで飲んだ」とか「銀座の旦那のつけで飲んだ」とか「俺にはこういうスポンサーがいる」とか、そういう話ばっかり。「俺は10円あれば朝まで飲める」とか言って、10円でスポンサーに電話して、飲みに連れて行ってもらうんだ。スポンサーにゴマすって飲んでいる力士も多かった。そういう奴は歌ったり、相撲甚句をやったりして、座持ちがいいからよく声がかかるんだ。
だから、スポンサーがいなくて、毎晩相撲部屋で飯を食う俺みたいなやつは若い衆に馬鹿にされる。逆に晩飯時にいない力士はどこかでお座敷にかかっているんだって、若い衆はうらやましがるし、付け人としてお座敷について行ってそのおこぼれにあずかるなんてこともできるからね。
上の力士がいなくなれば、その分、自分たちが食べるいい肉やおかずが回ってくるから、俺がずっといると「また天龍関がいるのかよ……」って嫌がられるんだ(笑)。あの頃は後輩の金剛や麒麟児もよく声がかかっていたけど、俺は本当にスポンサーがいなかったからね……。
俺にスポンサーがいないというのも、ただ人気が無かったからじゃないぞ! 以前にも話したことがあると思うが、若いころに一度、東京・錦糸町で金持ちそうな人から「飲みにいくぞ」と声をかけられて、「おお、これがタニマチ(スポンサー)か」と思って、ついて行ったことがあった。それで一緒に飲んでいたら、そいつが金を持っていなくて飲み逃げしようとしたんだよ。仕方なく俺たちが飲み代を払って、タクシーで帰ろうとしたら「金がないんで、今晩相撲部屋に泊めてください」なんて言ってきた!