それで、付いて行って一番思ったのが「プロレスはスポンサーの規模が小さいなあ」ということだった。相撲のときはお座敷がかかったら、芸者を呼んで、飲めや歌えやだったけど、プロレスではおネエちゃんがいるクラブに行くとか、それくらいだったからね。「やっぱり相撲界はすごいな」って思い直したくらいだ。

 プロレスは興行の世界だから、当時はその筋の人間との付き合いも避けては通れない。筋を通さないと会場に直接来て「誰の許可を得てやっているんだこの野郎!」と、試合をぶち壊されるからね。そういった人たちとの夜の付き合いを引き受けていたのも小鹿さんだ。少しは顔が知れているレスラーが来れば向こうの顔も立つだろうって俺にも声がかかったけど、本当は向こうも馬場さんに来てほかったんだろう。

 でも、馬場さんはそんな席に「なんで俺がそんなことしなきゃならないんだよ」って感じだったし、馬場さんがそういう席に行くと、あっちはすぐに上下関係を作りたがるから、馬場さんの葉巻を「1本よこせって」って、馬場さんの頭の上で吸うような世界で、馬場さんも嫌っていたと思う。お互いにナメられたら終わりの世界だからね。一方でアントニオ猪木さんはビシっと着飾って、山本小鉄さんをボディガードにつけて、うまく付き合っていたようだ。猪木さんにはそういう処世術のうまさもあったよね。

 俺がいった席ではもちろんその筋の人間もいたけど、分かりやすく毒々しいのはそんなにいなかったね。もちろん、中には分かりやすいのもいたよ(笑)。あの頃は「プロレスなんて八百長だろう」っていうのがやかしましい時代で、そういう奴らもそんなことを言ってくるから面倒くさかったなあ。

「どうせプロレスラーなんか」ってすぐにランク付けしたがるし、俺もカチンときて「なんだてめえ」ってへそ曲げて、一言もしゃべらなかったり。今じゃあほとんどの人が八百長に結びつけないで「プロレスはケガをさせないようにやっている、スポーティーなショー」だと理解してくれているからラクだろうね。

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プロレスの記者たちともよく飲んだ