――帰国して、理化学研究所(理研)の研究員になった。
篠崎は留学前に名大の助教授になっていて、いったん名大に戻りました。すぐに理研に就職して、筑波キャンパス(茨城県)で主任研究員として働き始めました。つまり、研究者として独立しました。
私のほうは、予定していた働き先が「好きな研究をやっていい」という話だったのに実際には言われたことをやらなければならなかったので、諦めて、理研の基礎科学特別研究員に応募しました。博士号を取得した研究者のための制度をこの年から理研がつくったんです。選考は理研全体で行われて、年齢的にはギリギリでしたが、採用されました。3年間、好きな場所で好きな研究ができるということだったので、篠崎の研究室で研究することにしました。
■ラボに来たある研究者に話すと…
米国では、ABAがどのように遺伝子を制御するのかを研究しましたけれど、そもそもどうしてABAができてくるのか。それを知りたいと思って、その仕事を篠崎と始めました。
遺伝子のコード領域の上流には、遺伝子が働くための合図を出すシス配列と呼ばれる塩基配列があります。私は米国にいるとき、ABAによって動き出す4つの遺伝子を解析して、そのシス配列を見つけました。そのころ、ある研究者がラボに来て、ボスのナムが「今やっていることを話すように」と言うから、私は安易に自分が見つけたことを話してしまいました。そうしたら彼は、しばらくしてこのシス配列に関して論文を発表したんです。
――え~!
彼もABAに誘導される遺伝子を研究していて、遺伝子のデータは1個しか持っていませんでしたが、私のデータを見てすぐに重要な配列がわかったのだと思います。彼はシス配列に結合する転写因子も単離して、それも一緒に論文発表しました。
私は悔しくて、日本に帰ってからその転写因子を確かめたいと思った。篠崎は「もう終わったことだから」と言っていましたが、私はどうしても自分で確かめたくて理研時代は黙って研究していました。農水省の研究所に移ってからも研究を続け、最終的に彼の論文の転写因子は間違っていることに気付きました。今は私たちが新たに見つけた転写因子、これをAREB(エーレブ)と名付けましたが、これがABA応答性の転写因子として世界で認められています。