――役所の人に?
そうです。「預けるなんて、母親として問題だ」みたいに諭されました。そういう時代だったので、1人目の手が離れるまで無理でした。
父が亡くなって母が私たちと一緒に住んでくれたので、2人目は小学校入学のころから母が面倒を見てくれるようになり、長女のような苦労はなく育てることができました。
――農水の研究所に11年いたあとに東大の教授になったんですね。
大学に来た当時は今の研究室の建物はまだなかったんです。結局、建ったのは8年後でした。その間は農水の研究所のほうも併任して、つくばと行ったり来たりでした。東大には定年まで16年いて、後半の8年は専任になり、住まいもつくばから東京に移りました。
夫はずっと理研でしたが、途中で横浜にあるセンターに移って、それでも自身のラボはつくばにあるので、横浜とつくばを行き来していました。今住んでいるのは、どちらにも行きやすい場所です。
■異なるタイプだから研究がうまくいった
――2018年には内閣府の「みどりの学術賞」を単独で受けられました。
私は農水省にいたので国際共同研究もたくさんしましたし、国際機関とも連携して実用化を目指した作物の研究をやってきたので、そういう応用面も評価されたのかなあと。
私と主人で仕事がうまくいったなと思うのは、私は一つのことにのめり込んでいき、細かく追究していく。篠崎は新しいことを見つけ出し、どんどん広げていく。情報を得るために勉強もよくしているし、実験も上手だし、そういう天才的な人なんで、私みたいに一つのことにしがみつく人とはちょうど良かったんじゃないかな。
――そういうタイプの違いって、若いころからわかっていたんですか?
いや、わかりません。一緒にやってみて、だんだんわかってきました。
――何だか、理想的な共同研究ですね。改めて、ご夫婦でのご受賞、誠におめでとうございます。
ありがとうございます。これまでご指導くださった先生方や、一緒に研究を行ってきた多くの研究者や学生の皆さんにも大変感謝しています。それから、両親や家族の援助や協力もありがたく思っています。
これからは、新しい人が新しい考えで研究を進める時代です。日本が世界をリードするようなサイエンスを行うとしたら、ある程度の層が必要で、たくさんの若い人に能力を伸ばしていただいて、活躍していただければ、ピカ一の人も出てくると思う。そんなふうに若い人をもり立てられるシステムが日本にできたらいい。そういうところで少しでもお役に立ちたいと思っています。