それから植物の遺伝子研究はどんどん進み、今やどの植物でもゲノムの全構造がわかるようになった。イネに至っては多くの品種でゲノム配列がわかっている。塩基配列の決定は次世代シーケンサーという機械がやってくれます。
時代が全然違う。もう自分たちの時代は終わりが近づいているかなとも感じています。
――日本女子大学を卒業されて東京工業大学の大学院に進まれたんですね。
はい、日本女子大は好きな生物の勉強ができたので、受けることにしました。第一志望はほかにありましたが、そちらの受験に失敗したので、日本女子大に。浪人も考えましたが、両親に反対されました。
当時、日本女子大に大学院はなかった。研究者になるためには大学院受験をしなくてはいけないということがだんだんわかってきて、それで東工大を受けました。
――研究者になりたいという思いはいつごろから?
小学生のときからですね。父は植物採集とか岩石採集とかを一緒にやってくれて、今思うと、それに良い影響を受けました。それから、母が「子供の科学」という雑誌をとってくれて、その付録でついてくるビーカーやフラスコなどのガラス器具に憧れを持った。そういうイメージだけで、しっかりしたものがあったわけじゃありませんが、理科が好きだったのは確かです。
――東工大を選んだのはどうしてですか?
遺伝子を研究している先生がいらっしゃったので興味を持ちました。私が入った畑辻明先生の研究室では国立遺伝学研究所の三浦謹一郎先生と共同研究をしていました。私は生物に興味があったので、三島(静岡県)にある遺伝研でウイルスの遺伝子の研究を始めました。
三浦先生は、大学でいえば教授にあたる立場で、今の准教授にあたる立場だったのが杉浦昌弘先生で、杉浦先生は遺伝子のクローニング技術を使って研究していました。杉浦先生が名大に移られることになって、私も一緒に行くことになりました。なぜなら、杉浦ラボの助教にあたる篠崎一雄と結婚したからです。
――いつ結婚されたんですか?
私が博士号を取得したあとです。篠崎は名大で博士号を取得して、遺伝研の研究員になっていました。私とほとんど同時に遺伝研に移ってきて、そのうちデスクも隣になりました。