「大陸からの果物は危険な農薬が使われているので、絶対に買わないでください。発見された場合は没収されます」
しかし安いから、お茶、タバコ、果物……が飛ぶように売れていく。金門島ツアーの大きな目的は、この違法の買い物だった。台湾人の思いはねじれていた。
そのとき、台湾人の知人が同行していた。日本語が堪能で通訳もこなしてもらった。彼と一緒に、夕方、金門島の食堂に入った。隣のテーブルで、金門島の男たちが宴会を開いていた。テーブルには名物の高粱(コーリャン/もろこし)酒の壜(びん)がどんと置かれていた。
「あの高粱酒、おいしいけど58度ですよ。きっと彼らは金門島の公務員。あれを飲んだら、翌日は二日酔いで大変。公務員だから平日でも飲めるんです。中国共産党の公務員と同じですよ。金門島の暮らしは、中国スタイルだね。台湾は皆、仕事は忙しいから、強い酒は週末しか飲めない」
彼はビールを飲みながらそんな話をすると、こう続けた。
「でも、彼らの話を聞くとほっとする。昔の台湾語に近いですよ。懐かしい響き。子供のころに戻ったような気になる」
大陸から台湾に拠点を移した中国国民党は、台湾の人々に中国の標準語である「普通話」を強要した。北京の言葉に近い。学校は普通話の世界になった。大陸での共通語は普通話である。金門島も普通話ということになったが、台湾防衛のための軍事島では、文化や産業の優先順位は低い。昔からの台湾語、つまり福建語系の言葉がまだ色濃く残っていた。いまも金門島やその周辺の島々では、人々は福建語系の言葉を口にする。
その後、金門島は大陸と、物と人の交流がはじまり、一気に金門島バブルの軌道に乗る。しかし小金門島には、その波が及んでいなかった。
5キロちょっとしかない金門大橋だが、渡った先では時代が20年ほど遡ったような気持ちになるのだ。
沙渓堡に到着した。
歩道が整備され、絶景スポットになっている。大陸はもちろん、周囲の島を見渡せることもあり、かつては軍事的にも重要な地点だった。今も台湾の兵士がアモイ方面に目を光らせている。
その脇でアモイを眺めた。目と鼻の先にアモイの高層ビル群が並ぶ。