代替わりを控えた18年、53歳の誕生日にあたって秋篠宮さまは、「宗教色の強い大嘗祭」は皇室の私費で賄うべきだとし、宮内庁とのやりとりも明かした。眞子さんの結婚についても、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ」納采の儀は行えないという考えを述べた。
「国民あっての皇室」という思いに、「天皇家の次男」という立場が加わっての率直さだと拝察している。だが情報があればあるだけ「ツッコミどころ」ととらえ、叩く人が出る。その構図に陥ってしまったのが秋篠宮家。そんなふうに思う。
そもそも「好きな人と結婚したい」という感情に忠実だった眞子さんを、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)になるまでバッシングする。世間とはそういうものだとするならば、雅子さまに「素顔を見せて」と気楽に言うことができるだろうか。
公表写真が家族写真
そういう目で、陛下と雅子さまの結婚30年の「ご感想」を読み直す。30年の間に日本を襲った自然災害やコロナ禍について述べ、さらなる復興を願う。自分たちの果たすべき役割を考え、上皇ご夫妻への尊敬、愛子さまへの愛、国民への感謝を述べる。決して出過ぎず、偏らない。まとめにまとめた1200文字。国民との向き合い方が、慎重なのだと感じる。
最後にもう一度、国外での話を。ジャカルタでの「うちの娘も」を聞いて思い出したのがオーストラリア・シドニーでの雅子さまだ。小児病院で患者らと交流すると、「娘さんは何歳ですか」と尋ねる少年がいた。
「1歳です」と答えたのは、陛下。雅子さまは同行していた職員に声をかけ、写真帳を取り寄せた。開いて少年に見せると、愛子さまと3人の写真があった。陛下の横で、抱っこする雅子さま。背景にバラ。出発直前、雅子さまの39歳の誕生日にあたって公表された写真だった。
国民に公表される写真は、雅子さまにとって家族写真。そのことに少し驚いたのは、ご一家と国民の双方向性のようなものを感じたからだ。皇室と国民が双方向だとすれば、肩の力を抜いて、信頼しあいたい。心を開きあいたい。
その写真が公表された誕生日にあたり、雅子さまは会見をしている。1歳の愛子さまを「皇太子さまに似て、ゆったりと、どっしりとしております」と述べた。ゆったり、どっしり。皇室と国民の関係も、そうだといいと思う。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2023年7月10日号