原点があることは間違いないだろう。外務省出身で「皇室外交」を望んだが、なかなか実現しなかった。今回の訪問前に何度も報じられていたのが、2002年の雅子さまの発言だ。「6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」と、オセアニア訪問前の記者会見で述べていた。国際親善のための外国訪問は、それ以来約21年ぶりだという。
「映像だけ」の不思議
とはいえ不思議なのは、国内での雅子さまだ。いきいきと活動しているはずなのに、今ひとつ伝わってこないのはなぜ?
例えば5月の「全国赤十字大会」。式典終了後、名誉総裁の雅子さまは日本赤十字社アンバサダーの上白石萌音さんと話をしたと報じられた。その映像もあった。が、やりとりは聞こえない。メキシコ育ちの上白石さんに、「スペイン語はまだ話されるんですか?」と尋ねた。そう伝えられるだけだ。声がないからニュアンスが伝わらない。6月に陛下とお二人で岩手県を訪ね、東日本大震災の被災地で関係者と話した時も、やはり映像だけだった。
声が聞こえることも、時にはある。御料牧場での静養にあたって宮内記者会とのやりとり(4月)は愛子さまもご一緒で、園遊会での招待者との会話(5月)では、雅子さまの気配りがよくわかった。だが結婚30年に公表されたビデオは、全くの無音。陛下と愛子さまと3人で養蚕作業をしている様子がひたすら映っていた。新年や陛下の誕生日に公表されるビデオは、弦楽四重奏風BGM付き。会話しているのに、声は聞こえない。
というわけで、「基本は音声なし、ごくたまに音声あり」。それが宮内庁の広報方針らしい。線引きの基準が謎だし、インドネシアの例からいって、よい方針とは思えない。
情報の多さに国民は
だがもう一つ、国民サイドの問題もあると思っている。何かというと、秋篠宮家をめぐる空気だ。小室眞子さんの結婚問題が浮上して以来、秋篠宮家は「何を言っても、書いてもよい」状態になってしまった。眞子さんがニューヨークに行ってからもそれは変わらず、そうなっている理由はさまざまあるだろう。そしてその一つに、秋篠宮さまの記者会見があると思う。率直なのだ。よいことなのに、よくない材料になっている。