■社外執筆者の原稿には著作権がある
というのも、原稿が担当記者、デスクと通っていくなかで、たとえそれが社外筆者の原稿や談話でも、自社に関係する部分に関しては、まず刈り取られ、そして自社以外を対象とした原稿でも、新聞特有の紋切り型の表現にまるめられ、本当につまらなくなっていくのを自分の経験で知っているからだ。
今年の正月に、時事通信が全国の地方紙の配信用に劇作家の鴻上尚史さんに「成人の日によせて」という原稿を依頼したことがあった。ところがその原稿をめぐってトラブルになり、結局原稿は配信されず、鴻上さんはツイッターで自分の書いた原稿を公表した。
<書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました>
こう鴻上さんはツイートした。その公表された原稿を読んだが、まったく問題がない。
「大人になる」というのはどういうことか、と最初に問い、「自分の頭で考えることだ」として、例えば「高校生らしい服装とはなんだ」と論を進める。「服装の乱れは心の乱れ」という標語があるが、そうだろうかと鴻上さんは問いこう書く。
<陰湿な奴ほど、ちゃんとした服装をしていじめることをみんな知っています>
実はこの騒動があった時、時事通信の幹部に会ったことがある。
この<陰湿な奴ほど~>という日本語がそもそもおかしいと言うので、
「それは違うよ。だってこれ鴻上さんの文章でしょう? デスクの文章ではない。記者の文章は業務上著作だからデスクがいくら直しても法律的には問題はないが、著作権は鴻上さんにあるよ」
こう思わず意見した。
時事通信は懐の深い会社なので、以後は気をつけていることだろう。
■なぜ週刊朝日は休刊せねばならなかったのか?
吉永さんの談話には、昨年2月に、創刊200年を目指してぜひ頑張ってほしいと言ったばかりなのに、というくだりがあったから、「トップが悪い」という怒りは、吉永さんがぜひとも言いたかったことなのだろう。そうした著者が言いたいことを汲むのが編集者だ。