吉永さんの談話原稿をトップに載せた「週刊朝日とわたし」。担当したのは週刊文春出身の契約記者、菊地武顕。(撮影/写真映像部・佐藤創紀)
吉永さんの談話原稿をトップに載せた「週刊朝日とわたし」。担当したのは週刊文春出身の契約記者、菊地武顕。(撮影/写真映像部・佐藤創紀)
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 週刊朝日が休刊した。

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 もともとこのコラムは、サンデー毎日で2020年3月に始まり、2022年7月に週刊朝日に移籍した。サンデー毎日の連載の最終回で、サンデーが週刊から月3回刊になったのをうけて「週刊で刊行を続ける週刊朝日に移すことの了承をいただきました」と書いたらば11カ月で週刊朝日のほうがなくなってしまったわけだ。

 これは、雑誌や会社を恨むのではなく、自分の見通しが甘かったことを反省するのみなのだが、その週刊朝日の最終号をみて「おや」と思う箇所があった。

 それは雑誌の目次の右柱と言われるトップの記事で「週刊朝日とわたし」という101人からのメッセージの大特集である。

 その一番最初に掲載されている吉永小百合さんの談話原稿にこんなくだりがある。

<トップが悪いんじゃないですか。100年も続いた大事な雑誌をやめるなんて>

 こうした談話原稿は記者が取材をして原稿をまとめ、著者校といってこの場合で言えば吉永さんに原稿をチェックしてもらって出すことになる。

 もちろんインタビューでは、吉永さんは色々なことを話しただろう。その中で記者は、あえて、「トップが悪い」という言葉を抜き出して原稿をまとめたということになる。

 雑誌というのは、原稿や刊行前のゲラを担当のデスクが読み、編集長が読み、発行人が読み、そして朝日新聞出版ではコンプライアンス担当という朝日新聞社から出向している社員が読み、チェックしていく。

 そしてこの吉永さんの談話を101人の最初にもっていくのは、編集長の判断だ。つまり、あえてこの吉永さんの談話を一番目立つところにおき、「トップが悪い」という談話を残したわけだ。それどころか、5月30日の発売日に掲載された朝日新聞本紙への全5段広告では、くだんの「トップが悪い」のセリフをデカデカとぬいている。

 そのことに雑誌をつくっていた人たちの意地を感じるし、これを通していく社の柔軟性があるかぎりまだこの会社は大丈夫だろう。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。標準療法以降のがんの治療法の開発史『がん征服』(新潮社)が発売になった。元上智大新聞学科非常勤講師。

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