耳の聴こえない両親のもとで育った「コーダ」である男性が、母の人生をまとめた。周囲の反対のなか、出産を諦めなかった母が生きてきた世界を、息子はどう見たのか。AERA 2023年5月22日号の記事を紹介する。
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「このまま親のことをよく知らないでいたら、すごく後悔すると思ったんです」
先天性のろう者である母親が歩んだ人生をまとめた『聴こえない母に訊きにいく』(柏書房)。著者の五十嵐大さん(39)は、執筆のきっかけをそう語る。過去2冊のエッセイでも、元ヤクザの祖父や宗教信者の祖母、耳の聴こえない両親との葛藤など、家族の物語を書いてきた。だが、書くほどにわからないことが増えたという。
「これまでの2冊は、あくまで僕視点で家族の姿を書きました。でも『あの時、母はどういう気持ちだったのだろう』と疑問が湧いてきたんです」
■言葉が失われた幼少期
母の人生をちゃんと知りたい──。改めて、母側から見た世界を描こうとペンをとった。
その人生は、決して楽ではなかった。母の耳が聴こえないとわかった時、祖母は神様に祈り続け、祖父は「治す方法」を探し奔走した。だが、母が生まれた1950年代当時は聴覚障害についての情報は少なく、徒労に終わった。
幼少期の母は、家族と身ぶり手ぶりで意思疎通を図ったが、「言葉」は持たなかった。地元の小学校に上がっても、当然、周囲と会話はできなかった。
「共通言語がない状態ですから、教師が何を話しているかもわからなかったはず。授業なんて理解できなかったでしょう。なかには、母をバカにする子もいたと聞きました」
中学でろう学校に進学した途端、世界がひらけた。
「聴こえないのは自分だけじゃない。クラスメートに手話を教えてもらい、生まれて初めて友達との“おしゃべり”を楽しんだと、とても嬉しそうに話してくれました」
言語を獲得したことで、勉強の遅れも取り戻すことができた。
「もし小学校からろう学校に通えていれば、母は幼少期のほとんどを言葉が失われた状態で過ごすことはなかったはずです。息子として祖父母の選択を責めたくなることもあります。しかし当時は、手話をすれば奇異な目で見られ、差別されることも多かった。母だけでなく祖父母もつらかったはず。社会のゆがみのしわよせが家族を苦しめていたんです」