「その場しのぎの男たち」は、大成功。三谷さんとは、「笑い」に対する考え方が似ていたこともあり、以来、「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」や「アパッチ砦の攻防」など、三谷さん書き下ろしの舞台にはたびたび出演するように。
「当時から、ホン(台本)を書くのは遅かったです(苦笑)。また稽古場で、その場で訂正しながら直すみたいなことも多かった。自宅にファクスで、毎日少しずつ台本が送られてくるみたいなこともありました。でも、遅いってことが悪いわけじゃない。三谷さんの場合は、絶対に面白いものができるってわかってるから、こっちも待てるんです。ただ、『アパッチ砦の攻防』のときは、さすがにB(作)さんが、『これだけ台本がきてないんだったら、もう初日を遅らせましょう』って弱音を吐いたことがあります。でも私は反対で、『どんなに遅くとも初日の前日までには書いてくるだろうから、徹夜で覚えればいい』って譲らなかった。結局、徹夜なんかしなくても、予定どおりに幕を上げることができました(笑)」
「徹夜で覚えればできる」という確信があったのは、伊東さんが20歳そこそこの頃は、毎回徹夜でセリフを覚えた経験があったからだ。浅草の劇団「笑う仲間」の団員になった頃、劇団の芝居は、10日代わりが常だった。「千秋楽の次の日が初日」というサイクルで、一年中芝居をやっていた。
「私が台本のコピー係だったんですが、コピーといっても、今のような複写機はなくて、作家の隣に張り付いて、作家が書いた原稿を人数分のカーボン紙を挟んだ紙の上から鉛筆で力を入れてなぞっていました。途中で作家が、『ちょっとたばこ吸ってくるわ』って言っていなくなって、なかなか帰らないので台本を覗いてみたら、『伊東くん、あとはよろしく』と書いてあって、仕方なくみんなを集めてアドリブで稽古が始まったり。当時はそういう『その場しのぎ』のことをやってた一座が多くあったと思いますね(笑)」
(菊地陽子 構成/長沢明)
※記事の後編はこちら>>「伊東四朗が語る三谷幸喜への共感『喜劇には、感動も涙も啓蒙もいらない』」
※週刊朝日 2023年6月2日号より抜粋