「恥ずかしくはなかったよ。ああいう時はああいうふうになるの。5人並んで真ん中にジュリーがいるから一応格好がつく。僕が一人でタイツはいてたら、おかしいでしょ(笑)」
GS全盛期は、そんな時代だった。「でもね」。岸部は言う。
「むつかしいのは、一方では安保闘争をやっている」
東大生の樺美智子が命を落とした60年の安保闘争。学生による反体制運動は続くベトナム反戦運動へとなだれ込み、GSブームの最高潮は、一連の大学紛争が激化した70年安保闘争の時期にぴたりと重なる。
「そんな時に、こっちは女の子相手に音楽やってるわけ。ファンに男なんて誰もいないから肩身が狭い。その肩身の狭さは、外国のほうを見てどうにかしようとするわけですよ。ビートルズとかローリング・ストーンズとか、あっちだってキャーキャー言われてる。『あんなすごいグループと僕らも同じなんだ』と思いながら、やってましたね」
68年6月、「木島則夫ハプニングショー」で、当時社会問題化していたGSと長髪男子の象徴のごとくザ・タイガースが批判にさらされたこともあった。
番組ではアウェー感が演出され、観覧者として参加していた教諭から、「GSファンは大脳が弱い」などという“口撃”も続く中、岸部は毅然と言っている。
「若者を全然理解しないようなのは本当の大人じゃないと僕は思う。だからこれから僕たちが何十年か先、大人になった時は、もっと綺麗な大人になりたいと思います」
日本全体が大きくうねり、転換していた時代だ。変化はメンバーにも生じていた。
「ちょっとずつ考え方に差が出てくるよね。音楽的な趣向が合わないとかじゃなくて、プロダクションの給料制に対してどうだとか、人気に見合うものをもらっているんだろうか、搾取されてどうするんだとかね。周りに『あんたたち、取られてるんだよ』っていう人も出たりする」
アイドル性を重視した渡辺プロのプロモーションも、「日本一のバンド」を目指して出発したメンバー間で少しずつ軋轢(あつれき)の種となっていた。