延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
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 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は坂本龍一さんと父、一亀さんについて。

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「ほら、坂本君のご両親がいらしている」と大貫妙子さんからそっと教えてもらったことがある。

 大貫さんのライブ会場でお見かけしたのは先日亡くなった教授こと坂本龍一さんのご両親だった。

 オーチャードホール1階の真ん中あたり。開演前のざわざわとした雰囲気の中、上品な身なりの夫婦(山高帽に背広姿の紳士と和服の女性)が居住まいを正して座っていらした。

 教授の父・坂本一亀さんは、野間宏の『真空地帯』や高橋和巳『悲の器』といった戦後日本文学の名作を次々に送り出した昭和を代表する文芸編集者だった。先日この欄で詩人の清水哲男さんを追悼したが、清水さんは河出書房でこの坂本さんの後輩でもあった。

「大江健三郎さんは坂本さんに叱られて、しょんぼり編集部の隅に立たされていたし、水上勉さんなんか、『何だこの原稿は! 書き直せ』とゲラに真っ赤になるほど手を入れられていた」と折につけ話を聞いた。「『君は役人なんかやっていないで小説を書け』と三島由紀夫に大蔵省を辞めさせちゃうんだから」

 教授にそんなお父さんの話を伺ったのはサントリーのPR誌「クォータリー」(2009年に休刊)のインタビューだった。山崎蒸留所で落ち合い、「いま、ここで聴こえる音」というテーマで話を聴き、その後ウイスキーを飲みながら雑談した。清水さんから聞いたエピソードを伝えると「九州男児でワシはワシはって軍隊口調。連日連夜飲み歩き、軍歌を歌いながら帰ってくる(一亀さんは先の大戦で学徒出陣組だった)。子どもの時はそんな親父が怖くて」と懐かしそうに微笑(ほほえ)み、話は尽きることがなかった。

 ある日、YMOのレコードジャケットを眺めて父が吐き捨てるように言った。「龍一、お前をピエロにするために東京芸大にやったのではない!」。息子が髪を金色に染めれば激高し、正月実家で母が作ったお節をつまんでいると「これがお前の音楽なのか?」といきなり怒鳴り始める。沖縄民謡『安里屋(あさとや)ユンタ』をカバーした作品を聴いたのだ。

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