写真はイメージです(Getty Images)
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作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、女たちが置かれている状況について。

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 先週、キャンドル・ジュンさんの記者会見を批判的に書いたら、毎日のように女の友人たちから「よく言ってくれた~!」という声が届いている。「ヒロスエが叩かれ、キャンドルが褒められる世界に絶望していたので救われた」と感謝の声もあれば、「あの会見が怖くて泣いていた」という友もいた。今さっきも「キャンドルを許してはいけない」(何があった……?)と強めのLINEがきていた。あの会見を直感的に「まずい」と思えたのは少数派なのかどうか分からないけれど、少なくとも、「まずい」と思った女たちには、この社会で女たちが置かれている状況が見えている、または実体験として知っているのかもしれない。

 会見が怖くて泣いたという友人は、長年、夫からのモラハラに苦しんでいた。社会的信頼があり、他人には穏やかで理性的に振る舞う夫。家の中では、たとえば頼まれていた郵便物を出さなかったという些細なことで、「ここに座って」と夫の前に座らされ、説教が始まる日常だった。それはいつも、「僕は君のためにこれだけ頑張ってるよね、だけど君はどのくらい努力しているのかな」というもので、「ごめんね、いつも本当にありがとう、私も頑張るね」と彼女が心から(それを判断するのはもちろん夫)、謝罪と感謝と今後の展望を言うまで解放されない。夫は間違ったことは言ってない、というか正しい……と考え、彼女は努力してきた。なにより彼を知る友人に相談したときに、「彼は、そんな人じゃないでしょう」と信じてもらえなかったことで、「努力するしかない」と諦めたのだ。

 そんな「彼女の私的な体験」は、本当にイヤになるくらいにこの社会にいくらでもある。夫の価値観が支配的な結婚生活に苦しむ女性は少なくない。もちろん、穏やかで幸せな時間があるからこそ継続できる日常でもあるが、夫が自尊心に満たされリラックスする一方で妻は絶えず緊張し、次第に「彼の価値観」を自分の直感よりも優先させていく。しかも性差別のある社会では助けを求める女の言葉より、冷静を振る舞う男の言葉を信頼するので、諦めるしかないと沈黙する。

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「ガスライティング」装置のような社会