佐藤和孝さん(67、左)/40年以上にわたり戦場を歩き、人々の声を伝えてきた。写真は、昨年11月、ウクライナ南部のヘルソン。著書に、『ウクライナの現場から』など(写真:本人提供)
佐藤和孝さん(67、左)/40年以上にわたり戦場を歩き、人々の声を伝えてきた。写真は、昨年11月、ウクライナ南部のヘルソン。著書に、『ウクライナの現場から』など(写真:本人提供)
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 アフガニスタンを取材してから40年以上、世界各地の戦場の最前線を伝えてきたジャーナリストの佐藤和孝さん。取材中、パートナーで「同志」でもあった女性を失っても、戦場に向かうことをやめなかった。佐藤さんを突き動かすものとは──。AERA 2023年6月26日号の記事を紹介する。

【写真】佐藤さんが見たウクライナの現場

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 今年2月、ジャーナリストの佐藤和孝さん(67)は、戦禍のウクライナ東部ドネツク州のクラマトルスクから現地の様子を日本の民放テレビで伝えた。

「この駅は昨年4月、地方に避難する方々が待っていたところに、ロシアのミサイル攻撃を受け50名くらいの方々が亡くなった場所です」

 何の罪もない人が殺されている。それでいいのか、目を見開いて見てください──そんな思いを込めた。

 1980年、24歳の時にアフガニスタンを取材してから40年以上、世界各地の戦場を渡り歩いてきた。チェチェン、ウガンダ、サラエボ、イラク……。そして、昨年2月にロシアの侵攻が始まったウクライナにはこれまで3度行き、最前線の様子を伝えた。

 元々、報道カメラマンを目指し写真の専門学校で学んだ。学校は中退しファッションの写真を撮っていた時、旧ソ連がアフガニスタンへ侵攻した。時代が動く瞬間だという思いに突き動かされ、身一つでアフガニスタンの地を踏んだ。

 持ち合わせていたのは、若さと好奇心だけ。何者かになりたい、自分が生きた証しを残したい、そんな思いで戦場に通い続けた。「世界平和」なんて考えたこともなかった。それがやがて、責任感が強くなっていったという。色々な人の命を受け取って、背負っていくのだと。

 だが、戦場は常に命の危険を伴う。アフガニスタンでは無反動砲の集中砲火を浴びた。

 2012年には、激しい内戦が続くシリア北部のアレッポで、一緒に取材していた、パートナーで「同志」でもあったジャーナリストの山本美香さん(享年45)が銃弾に倒れた。それでも、戦場に向かうことをやめようとは思わなかった。

「簡単です。彼女だって、逆の立場なら続けるはずです」

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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