レッドソックスと5年総額9000万ドル(約125億円)の契約を交わした吉田正尚をはじめ、近年はメジャーにおける日本人選手の評価もうなぎ上り。だが、かつてはマック鈴木のように、NPBでのプレー経験なしで、マイナーからメジャーに這い上がった選手もいるし、未来のメジャーリーガーを夢見てマイナーで奮闘した“無名の若者たち”も多く存在した。
野手として日本人初のメジャーリーガーになる目前までいったのが、根鈴雄次だ。
日大藤沢入学後、いきなり4番を打ち、練習試合で本塁打を放った根鈴は、厳しい上下関係になじめず、両親の離婚問題などでも悩むうち、自律神経失調症を患い、不登校、留年を経て、高校を退学。「人生をリセットして、ゼロからやり直そう」と渡米し、野球に再挑戦した。
その後、高卒の資格を取得するために帰国。単位制の高校を卒業すると、指定校推薦で法大に進学し、23歳で野球部に入部した。
98年春の慶大戦で六大学史上2人目の代打逆転サヨナラ本塁打を放つなど活躍したが、社会人チームに入る道を選ばず、再渡米。00年にエクスポズとマイナー契約し、1Aからメジャーを目指した。
14試合で2Aに昇格した根鈴は、さらに3A・オタワでも、大家友和から本塁打を記録するなど、55試合で打率.247、2本塁打、16打点の成績を残した。
そして、メジャーの枠が40人に増える9月、根鈴も候補の一人だったが、スタッフから連絡があったとき、来季に備えて視力回復のレーシック手術を受ける直前だった。結局、別の選手がメジャーに呼ばれ、最初のチャンスを逃した。
さらに翌01年もオープン戦で4番を打ち、1試合3本塁打を記録するなど絶好調。エクスポズの開幕試合は、イチローが入団したマリナーズより早い時間に行われるので、イチローより先にメジャーデビューを実現する可能性もあった。
ところが、開幕1週間前、外野手が多いチーム事情から、まさかの解雇を通告されてしまう。