その後、新潟、徳島など独立リーグに所属し、39歳まで現役を続けた根鈴は、自らの野球人生を「俺は、王道から外れています。既存の組織からね。一生煙たがられるでしょう。でも、それでいいと思います。だって、先人のない道の方が、楽しいじゃないですか」(喜瀬雅則著「不登校からメジャーへ イチローを超えかけた男」 光文社新書)と振り返っている。

 日本人で初めてMLBドラフトで指名される快挙を実現したのが、坂本充だ。

“松坂世代”の坂本は、九産大九州時代は5番センター。188センチ、79キロと大柄ながら、50メートル5秒8の俊足で、遠投120メートルの強肩だった。

 高校卒業後、アイオワのインディアンヒルズ短大に野球留学したが、「もう1年は野球漬けで過ごしたい」と希望し、今度はユマのアリゾナウエスタン短大に編入した。

 02年1月開幕のリーグ戦では、打率.422で首位打者に。オールアリゾナ選抜のメンバーにも選ばれた坂本は、前年メジャーでブレイクしたイチローとタイプが似ていることから、“第2のイチロー”として、メジャー16球団から注目された。

 そして、同年6月のMLBドラフトで、坂本はロッキーズから24巡目(全体では711番目)指名を受ける。渡米の際に家族全員が反対するなかで唯一背中を押してくれた父・学さんも「努力した甲斐があった」と日本人初の快挙を喜んだ。

 翌03年、1A・トライシティからスタートした坂本は、打率4割をマークし、2週間後に3A・コロラドスプリングスへ。メジャーも見えてきた。

 だが、出場2試合に終わり、その後は右肩手術やビザ発行の遅れなど、めぐり合わせの悪さもあり、05年4月に自由契約になった。

 そして帰国後、自主トレをともにした城島健司のマリナーズ移籍が決まり、「英語を教えてほしい」と依頼されたことがきっかけで、通訳としてマリナーズと契約。06年も城島との個人契約でパートナーアシスタントを務めた。

 マイナー時代に英会話を覚えた経験をもとにした「城島健司をしゃべらせた ゼロからの英会話」(あさ出版)という著書も出している。

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最年少でメジャー球団と契約したのは…