小竹哲(こたけ・さとし)/1964年、三重県四日市市生まれ。京都大学文学部卒。大阪・朝日放送で浪曲番組、アニメ番組などを担当し、2019年退職。昭和のベルばらブーム以来の宝塚ファンで、宝塚歌劇に関する論考、公演評、エッセイなどの寄稿多数(撮影/植田真紗美)
小竹哲(こたけ・さとし)/1964年、三重県四日市市生まれ。京都大学文学部卒。大阪・朝日放送で浪曲番組、アニメ番組などを担当し、2019年退職。昭和のベルばらブーム以来の宝塚ファンで、宝塚歌劇に関する論考、公演評、エッセイなどの寄稿多数(撮影/植田真紗美)
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 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 大正7年に創刊された、宝塚歌劇の機関誌「歌劇」。創刊当時の「歌劇」には、読者からの投稿、劇作家や文学者の寄稿、生徒自身の肉声が収められていた。そこから舞台に生きた少女たちとファン、制作者たちや創始者・小林一三の言葉を丁寧に読みとった『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』。著者の小竹哲さんに同書にかける思いを聞いた。

*  *  *

 少女たちの舞台を若い男性が応援する──アイドルの推し活ではなく、創立当時の「宝塚ファン」の姿だ。

「宝塚歌劇(以下、宝塚)というと、男役のトップスターを中心に構成され、女性ファンが多いイメージですが、初期の宝塚は娘役のほうが人気でした。温泉施設での無料の余興からスタートした宝塚少女歌劇ですが、結婚しても舞台に出ていた高砂松子がいたり、大正時代には意外なエピソードがたくさんあるんです」

 そう語る小竹哲さん(59)自身も、京都の大学に入学した1983年から、ほぼすべての大劇場公演を観劇している熱心なファンだ。特定のスターを追いかけるのではなく「宝塚という集団そのもの」が好きなのだと小竹さんは言う。

「88年に就職してからも宝塚は観続けていました。2019年に会社を辞めたときにやりたかったのが、阪急文化財団池田文庫が所蔵する『歌劇』を創刊号から読むことでした」

「歌劇」とは、1918(大正7)年から宝塚歌劇団が発行している機関誌だ。

 宝塚の生みの親は、阪急東宝グループの創始者として名高い小林一三。そして「歌劇」を創刊したのも、小林その人だった。

 本書で小竹さんは創刊から1925年まで、大正時代の「歌劇」を取り上げている。

 宝塚少女歌劇の第1回公演は1914年、プールを改造したパラダイス劇場でおこなわれた。その4年後に機関誌「歌劇」が創刊されている。

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