
浄土真宗の宗祖・親鸞は、この世とあの世の中間にある「その世」という存在を説いた。その世には「希望」があるという。一体どういうことなのか。小説家の高橋源一郎さんと作家のブレイディみかこさんが語り合った。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。
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高橋:いまぼくは、(浄土真宗の宗祖)親鸞(しんらん、1173~1262)の歎異抄(たんにしょう)を訳しています。ちょうど宗教について書いていて、親鸞をテーマにしたんですね。最初は誰かほかの方が訳した歎異抄から引用しようかなと思ったんですが、せっかくなら自分で訳そうかと。
ブレイディ:私は歎異抄を読んだことがないんです。
高橋:おもしろいからぜひ読んでください。ぼくは、昔から親鸞は変わった人ではないかと思っていました。親鸞は、人は浄土に行くけれど、その浄土とは「あの世」という時もあるし「この世」だという時もあるというように、どちらにも取れるように言っています。もっと言うと、はっきりとは書いていませんが「浄土」という「その世」、「この世」でも「あの世」でもない世界が存在していると言うんです。それはいったいどこなんだろうというのが親鸞を読むことの醍醐(だいご)味です。生きている人間が住む世界と死んだ後に往生することになる世界、世界がその二つしかないとするなら、問題は解決しない。その中間にある「その世」に行けたとき、人間は大きな問いに答えることができる。つまり、真の悟りを得ることができるというわけです。
ブレイディ:二分法にはない世界ですね。
高橋:まさにそのとおりです。目指すべき極楽浄土というものが「あの世」にしかないとしたら、生きている現世は仮の宿になってしまう。「この世」だって大事に生きないといけないのだから、それでは困る。でも、現世が、つまり「この世」がなにより大事だとすると、「あの世」のことなど考える必要がなくなってくる。だから、人間が人間であるためには、「その世」という、二つの世界の中間の世界が必要になってくる。実は希望はその中間(その世)にあるのでは、ということなんですね。
ブレイディ:そうだと思います。私も話を聞きながら、そのことを考えていました。