批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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10年ほど前、若い批評家がやたらと「ハック」という言葉を使った時期があった。老人支配の日本社会は正攻法では変わらない。ならば既存制度の穴を見つけ、脱法的に改革を進めるほかない。そんな発想をコンピューターのハッキングになぞらえた表現だ。
当時は一部の流行でしかなかったが、いまやその精神は社会全体に蔓延(まんえん)している。社会学者の伊藤昌亮氏は「世界」3月号で「ひろゆき現象」を論じている。そこにハックという言葉が出てくる。
ひろゆき氏はいまや日本で最大の影響力をもつ言論人のひとりである。けれども彼の核にあるのは特定の思想や正義感ではない。むしろライフハックの喜びである。ひろゆき氏はあらゆる主張をハックし、ゲームのように相手を「論破」する。そのさまが痛快なので若者は支持しているわけだ。
同じ精神がガーシー騒動の背景にもある。ガーシー氏は昨年2月に暴露系ユーチューバーとして活動を開始、瞬く間に知名度を上げて、7月の参院選で当選してしまった。その後の混乱はご存知(ぞんじ)のとおりで、この3月15日についに国会を除名処分となった。
筆者は除名処分に全面的に賛成である。氏の言動にはほとんど公共性がない。しかしそれだけに支持が消えないのは不気味である。氏は選挙の穴を突いた改革者だとみなされている。騒動を受け、氏が所属するNHK党は政治家女子48党に改名した。もはやコメディーだが、仕掛け人は一種のハックだと考えているのだろう。
この状況はじつに不健康である。日本社会が変わりにくいことは確かだ。制度の穴を突くのも悪くない。しかしハックそのものを自己目的化しても意味がない。何のために制度を逆手に取るのか、何のために相手を論破するのか、目的がないところでハックを繰り返しても政治も論壇も空転するばかりである。私たちはハッキング礼賛こそ抜け出す必要がある。
むろんこんな言葉はひろゆき氏やガーシー氏の支持者には響かないだろう。それでもひとりの「老害」として、人生はゲームではないとだけ言っておきたいと思う。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2023年3月27日号