■刈り上げた理由
あまり知られていませんが、小泉今日子のデビュー曲『私の16才』は、森まどか『ねえ・ねえ・ねえ』のカヴァーでした(森まどかは1978年にデビュー。『ねえ・ねえ・ねえ』は彼女のセカンドシングルで、1979年4月に発売されています)。
すでに名声を確立したアイドルが、「往年の名曲」を歌うことはめずらしいことではありません(小泉今日子自身、ピンク・レディーやフィンガー5など、過去の有名歌手のヒット曲を集めたアルバム『ナツメロ』を、1988年にリリースしています)。しかし、最初のシングルのA面に、それほどヒットしたわけでもない先輩歌手の持ち歌を選ぶのは異例のことです。
そして、デビュー2曲目の『素敵なラブリーボーイ』も、林寛子の同タイトル曲のカヴァーでした。3曲目の『ひとり街角』で、ようやくオリジナル曲を歌うことになりますが、この作品は80年代にしては古風な、演歌を思わせる雰囲気を帯びています。続く4曲目の『春風の誘惑』――これもオリジナル曲――も、やはり「懐かしの昭和歌謡」路線です。
当時の映像を見ると、小泉今日子は一生懸命、「男の子に甘えてすがりつくような表情」を浮かべ、「正統派アイドル」を演じながらこれらの曲を歌っています。
小泉今日子がデビューした1982年には、有力アイドルが次々とデビューしました。女性アイドルでは、中森明菜、早見優、石川秀美、松本伊代、堀ちえみ。男性アイドルにはシブがき隊がいます。小泉今日子のライバルだった女性アイドルたちのイメージは、
「薄幸の影を漂わせる中森明菜、ハワイ育ちでスタイルも日本人離れした早見優、健康スポーツ少女の石川秀美、デビュー曲の歌詞に『伊代はまだ、16だから~』と自分の名前が入っていた前衛アイドル松本伊代、お笑いセンスを伸ばして花開いた堀ちえみ」
といったところです。いずれも、斬新な個性派といえます。逆にいうと、昔ながらの「清純お姫さま路線」でアピールしようとした女性アイドルは一人もいません。
小泉今日子のスタッフは、空白となっていた「昔ながらの王道アイドル」を狙うことで、強力なライバルたちに対抗するつもりだったのでしょう。最初の2曲がカヴァー、次の2曲もアナクロなまでに古風だったことからも、そうした方針はうかがえます。
このやりかたは、ある程度の成果をあげました。小泉今日子のディスクはどれも売れ行き好調で、4曲目はオリコン・トップテン入りを果たしています。それでも、デビューの年のレコード大賞最優秀新人賞ノミネート5人の枠に、小泉今日子は入れませんでした。
小泉今日子がロングヘアだった髪を切ったのは、4曲目を歌っているさなかです。断髪は自分の意思だったと、小泉今日子はくり返し語っています。
「デビューしてすぐに、芸能界ってそんな面白い世界でもないな、因果な商売だなと感じた。やめて田舎に帰ろうと思ったけど、帰る前に何かしでかさないと、友達が受け入れてくれないから」(注1)
ただし、次の5曲目『まっ赤な女の子』からレコーディング・ディレクターが代わり、曲のイメージも一変しています。小泉今日子当人だけでなくスタッフも、この時期、イメージ・チェンジの必要を感じていたのです。小泉今日子の新しいレコーディング・ディレクターになった田村充義はいっています。
「僕の担当になった段階ではその年の新人さんで5番手から7番手の人だったんです。(中略)もうちょっと上がらないといけない、ほかの人との差別化をしないといけないというのがいちばんにありました」(注2)
小泉今日子当人は、「古風な清純派路線」を演じるのをつまらないと感じ、スタッフも、このままでは強力なライバルたちに対抗しきれないと考えていました。両方の思惑が合致して、新しい小泉今日子が誕生したのです。