政治記者の取材対象として面白いポストは、自民党幹事長と内閣官房長官だと思う。朝日新聞を含め新聞社の政治部だと、駆け出しの1年ほどは「総理番」と呼ばれる首相の追っかけ取材をする。その後、野党や役所に配属され、さらに政権与党や首相官邸の官房長官などを担当する。この数年間は、夜討ち朝駆けの毎日。体力がものを言う。

 私の場合、1985年に政治部員となり、中曽根康弘首相の番記者を務めた。外務省詰めを経て、竹下登政権の小渕恵三官房長官担当となった。茫洋とした人だった。「人柄の小渕」と言われていたが、実際には、なかなかしたたかで、竹下首相の信頼はとても厚かった。驚いたのは、官房長官の下に膨大な情報が集まってくることだった。外務省は世界の動きを伝える。大蔵省は株価や為替の動向、警察庁や防衛庁、内閣調査室はテロや事件・事故といったぐあいだ(役所名はいずれも当時)。自民党の派閥や野党の動きも、政治家から連絡が入る。情報交差点にいる官房長官が毎日、記者会見で政府の考えを発信するのだから、内外から注目されるのは当然だ。

 竹下首相が退陣して宇野宗佑、海部俊樹政権と続くが、その時は自民党幹事長を担当した。橋本龍太郎、小沢一郎両氏である。幹事長にも、官房長官に勝るとも劣らない情報が入ってくる。小沢氏が竹下氏や金丸信氏らと組んで権勢をふるった「竹下派支配」の時期だった。しかし、満月もいずれは欠ける。竹下派は分裂して小沢氏らは離党。自民党が結党以来、初めて下野するというドラマも、現場で見てきた。その後も、自民党取材は長く、サブキャップやキャップ、政局担当デスクも経験した。

 政治の要である官房長官と幹事長。自分の経験も踏まえて、何か書いてみたいと思っていた。そこで気づいたのは、自民党幹事長については多くの本が書かれていることだ。自民党職員だった奥島貞雄氏は、その体験に基づいて『自民党幹事長室の30年』(中公文庫)を出しているし、「幹事長もの」は枚挙にいとまがない。

 それに対して、官房長官の方は極端に少ない。後藤田正晴氏らが官房長官時代の回想録を書いているぐらいだ。「官房長官」の全体像は見えてこない。ならば、書いてみるかと思い定めて、パソコンの前に座ったのだが、いざ書いてみると、なかなか骨が折れた。官房長官の強さの源泉とか、法的根拠とか、それぞれの流儀の記者会見とか、分析する視点は多すぎて、散漫になると思った。

 そこで、「エイヤッ」と割り切った。しょせん、学者とは違い、古今東西の文献に当たって緻密な記述をするのは無理なのだから、約30年間の政治取材で見聞きした話を中心に書いてみることにした。それが、本書『官房長官 側近の政治学』である。首相という強力な権限を持つ上司。ワンマン、人情家、情報通、政策通……。いろいろなタイプの上司にどう仕えるか。それは、政治家ならずとも、世のサラリーマンにとっても、関心のあるところだろう。

 官房長官をいくつかのタイプに分類してみた。首相の子分、兄貴分、お友達など。それぞれに良い点、悪い点があるが、高度成長が続いて難しい政策課題がなかった時代には、子分型の官房長官が首相の意を受けて政策を進めればよかった。だが、経済が停滞し、外交も複雑になる時代には、兄貴分型や知恵袋型の官房長官が内閣のパワーを増し、強い政権ができるということも、改めて確認できた。

 内閣のスポークスマンとしての毎日の定例記者会見、与野党や霞が関の官僚たちとの調整作業といった官房長官の仕事についても、具体的に解説してみた。首相官邸のスタッフや秘書官という官房長官を支える体制も詳述している。

 約14億円という予算総額は分かるものの、使い途はベールに包まれている官房機密費(予算上は内閣報償費)についても、できるだけ多くの資料を集めて論じてみた。安倍晋三政権の大番頭である菅義偉(すがよしひで)官房長官が、快くインタビューに応じてくれたので、安倍首相との緊迫したやりとりなども満載している。

 政権の顔である官房長官のあり方については、改善すべき点も多い。機密費も一定の条件をつけた上で将来は公開すべきだし、官房長官専任のスタッフも、さらに充実させる必要がある。政治とメディアとの接点でもある官房長官を論じる中で、政治報道のあり方にも一石を投じるつもりで書いてみた。30年の政治記者生活の、ささやかな「中間報告」である。