鈴関はカウント4-2から二飛に倒れた。だが、その後、3番打者が安打を記録しているので、もし鈴関が四球で出塁し、送りバントなどで進塁していれば、松山は貴重な追加点を挙げていた可能性が高かった。

 そして、この回の攻撃が無得点で終わったことが、両チームの明暗を大きく分ける。

 最終回、1点を追う大宮工は2四球で2死二、三塁のチャンスをつくり、宮沢義治の二塁内野安打で逆転。松山は勝利まで「あと1人」から痛恨の逆転負けを喫した。

 誤審が勝敗にも影響を及ぼす皮肉な結果に、斎藤俊夫県高野連理事長は「フォアボールとわかり、私が声をかけて試合を停止しようとしたが、間に合わなかった。審判、本部の記録係、役員のミスが重なった。松山には、県高野連会長名で謝罪文を出したい」と説明したが、謝罪文を貰っても、チーム関係者は気が晴れなかったのではと思われる。

 誤審ではないが、判定の基準が厳し過ぎたことから、ギネス級のビックリ珍記録が生まれたのが、18年の西東京大会5回戦、日大鶴ケ丘vs明大中野八王子だ。

 1回表、明大中野八王子の先発・江口陽太は、打者9人に対し、被安打3、与四球4で、2死から浦田光に交代した。その浦田も最初の打者に四球を許し、2投手で1イニング5四球を記録。いきなり7点を失った。だが、これはほんの序曲に過ぎなかった。 その裏、日大鶴ケ丘の先発・松田賢大も先頭打者から3連続四球で無死満塁のピンチを招き、早々と降板。2番手・高岡佳佑も3連続押し出しを許し、さらに3番手・三浦拓真も2死後に連続四球を与えたことから、1イニング8四死球となった。

 その後も両軍投手陣は四死球の山を築き、明大中野八王子21、日大鶴ケ丘20の計41四死球。122対0のスコアで話題になった98年の青森大会、東奥義塾vs深浦も計38四死球だったから、その凄まじさがわかる。8強入りをかけた強豪同士の試合なら、なおさら信じられないような数字だ。

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「こんな試合は見たことがない」