夏の甲子園を目指す戦いでは様々な“珍事”が発生
夏の甲子園を目指す戦いでは様々な“珍事”が発生
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 夏の甲子園出場をかけた地方予選もたけなわ。全国各地で球児たちの熱戦が繰り広げられているが、その一方で、誤審や判定をめぐるトラブルも少なくない。過去の地方大会で本当に起きた判定をめぐるまさかの珍事を紹介する。

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 本当は1死なのに、球審の勘違いで2死が宣告される珍事が起きたのが、1974年の東北大会(同年は山形、宮城で1代表)Aブロック代表決定戦、山形電波工(現創学館)vs山形東だ。

 3回に逆転され、2対5とリードされた山形電波は5回、先頭打者は8番・鈴木忠広だったにもかかわらず、前の回の攻撃で二ゴロに倒れた7番・菅野忠が打席に入った。

 公式記録員が首を捻っている間に投球が進み、山形東ベンチが「打順を間違えている」とアピールしたときには、菅野はフルカウントから中飛を打ち上げていた。

 直後、アピールを受け入れた球審は、打順を間違えたことと中飛で、併せて2死を宣告。次打者・山岡博也は三振に倒れ、実質打者2人でスリーアウトチェンジになった。

 だが、公認野球規則6.03bによれば、打順を間違えた「不正位打者」菅野の打撃完了後なので、この場合は、「正位打者」鈴木にアウトが宣告され(安打などで出塁していた場合は、出塁も取り消し)、1死無走者で次打者・山岡となるのが正しい。アウトをダブルで取ったのは、明らかに誤審だった。

 試合後、この一件について問い合わせを受けた日本高野連大会本部は「電波側のアピールがない限り、試合は有効。記録上は2死でチェンジしたことになる」と説明した。

 結果的にアウトをひとつ損した形の山形電波工は2対7で敗れ、東北大会進出を逃した。

 審判のみならず、記録係まで勘違いをした結果、四球が幻と消えてしまったのが、88年の埼玉大会4回戦、大宮工vs松山だ。

 3対2とリードした松山は8回、先頭の1番・鈴関知昭がフルカウントから四球を選んだ……。いや、選んだはずだった。

 ところが、球審はフルカウントと勘違い。直後、松山側が「四球ではないか?」とアピールすると、球審はカウントを担当する塁審と本部席に確認したが、いずれも「フルカウント」と答えたので、そのままプレーを続行した。

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