天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「都会と地方」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。

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 いろいろなコンサートやショービズが行われる都会と、年に何回かのイベントしかない地方を比べると、プロレスの試合ではやっぱり温度差があるね。都会での試合だと、パッパッパと技の応酬があって、それがビタっと決まると「おー!」と歓声が上がるけど、地方はイスでぶん殴ると「おー!」だ。都会の会場では蹴りがバチーンと入ると「おー!」だけど、地方では、いくらいい蹴りが決まっても「牛がぶつかる音とか、雪崩の方が迫力あるよ」と言われると太刀打ちできないよ。

 ただ、不思議なことに地方の会場でも時間が経つと、お客さんも試合に引き込まれて、阿吽(あうん)の呼吸で応えてくれるようになるんだ。俺がプロレスで一番大切にしていたことは、力いっぱい相手とぶつかり合うこと。それをやっていれば5分、10分経つと必ず客に伝わる。最初は付き合いでチケット買わされて「プロレスなんて面白くねぇよ」という態度でふんぞり返っているような人が、そのうちに前のめりになって見入っていたりね。そんな姿をリングの上から確認しては「よしよし。しめしめ」と思ったもんだ。

 昔は地方に行くと、いつもは2時間の大会が、1時間半で終わったなんて話しはよく聞いていたけど、俺はことさら頑張って、2時間きっちり持たせるようにする。そのおかげでレスラーからはひんしゅくを買っていたよ(苦笑)。その代表格がジャンボ鶴田だ。俺が意地になって、必死こいて向かっていっても「はいはい、源ちゃん、わかったから。もういいよ~」だもんね。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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