国内での試合ができない辰吉だが現役続行にこだわり続け、戦いの場をタイに求めたこともあった。2008年10月26日に復帰戦(対パランチャイ・チューワッタナ、2回TKO勝利)。翌年の3月8日にも2戦目(対サーカイ・ジョッキージム、7回TKO負け)を行った。その間にはタイ国内ランキング1位になっている。
「タイでの試合は以前と比べられないほど衰えていた。試合中は全盛期のような反応ができずパンチをたくさん浴びた。自軍コーナーも間違えるほどで、見ていて怖かった。後日、タイのコミッションに足を運び抗議しました。『2度とこういう試合は認めない』と念書を書いてもらったほどです」
「試合を取り上げたメディアにも抗議しました。某専門誌がタイでの試合を大々的に取り上げた。危険性があるから日本での試合をボクシング界全体で止めているところ。ライセンスがない状況下、タイで試合を強行開催した。日本のボクシング界として大問題です。メディアとしての倫理観を疑問視しました」
「問題だらけの試合なのに、記事内では挑戦を讃えるような取り上げ方をした。担当記者は『僕は辰吉が好きでファンなんだ』と言いました。気持ちは理解できますが、『そのような気持ちでメディアでは書かないで欲しい』と伝えました。日本ボクシング界の道を外れた行為なのに、思い入れで美化するのは間違っています」
その後、因縁を感じる事故が起こってしまう。復帰2戦目で辰吉を下したサーカイ・ジョッキージムは、試合内容が評価され日本での興行へ出場が決定。10月13日、仁木一嘉とのスーパーバンタム級10回戦で10回TKO負けを喫した試合後、硬膜下血腫で死亡する。
「日本のプロモーターが呼んだ福岡の試合後、リング渦で亡くなってしまった。タイ選手は試合途中で気持ちが折れてしまう選手も多いが、最後まで前に出て戦い続けた。素晴らしいファイトで最終ラウンドまで戦った試合後、病院で亡くなった。日本の試合で海外選手が亡くなった初めての例でした」