1970年代、ブームを巻き起こしながらもはかなく消えたローラーゲームチーム「東京ボンバーズ」。スター選手だった小泉博さんは、失意の中であらたな出会いを得て、エンタメ界を陰で支える存在へ成長していく──。短期集中連載「日本を明るくした男」では、ノンフィクションライターの渡辺勘郎さんが彼の人生を追った。
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東京ボンバーズが解散してしまい、途方に暮れた、という小泉博。
ローラーゲームの実況をしていたアナウンサーの土居まさるが「うちの事務所でタレントとして活動しながら、好きなローラーゲームをやればいい」と声をかけてくれたというが、「タレントになりたくてやってた訳じゃないので」と断った。
そして最初にやったのが、筑波大学構内の現場に職人を運ぶ運転手の仕事。お昼時、作業着を脱いで自分が着ているボンバーズのTシャツやトレーナーが目に入る度、こんなふうにさせちゃダメだ、仲間たちにちゃんと飯を食わせられるようにしなきゃ、と思った。
「僕は上の人にたくさん可愛がってもらったから、今度は僕が稼いで、下の連中には、僕がしてもらったようにしてあげよう」
雌伏のときの、こんな思いが、その後の彼の生き方に反映されていく。
心配した小泉の母がボンバーズ時代の先輩の若松雅俊に相談したこともあり、若松は自分が勤める会社で運転手の仕事を紹介してくれた。この会社に、元東京ビートルズのドラマーがいて、小泉は早速、「もったいない。カントリーミュージックやれよ」と誘われたが、「芸能がやりたい訳じゃない」と、ここでも表舞台への誘いを断った。ライブハウスまでドラムを運ぶのを手伝い、ミッキー・カーチスから革ジャンをもらったこともあったが、気持ちは変わらなかった。
この会社で働き出して1年した頃、小泉は若松に相談した。
「ローラーゲームをやってほしいと手紙がくるんですけど、どうしたらいいですかね?」
若松は、こう言った。