田宮二郎
田宮二郎

「違う名前でゲームを作ろうぜ。仲間はいるんだから」

 そこで小泉がこだわったのは“リアル”スポーツ。ローラーゲーム時代、「八百長だ」「やらせだ」と言われて苦しかったからで、スポーツ性を重視したい、と考えた。

 そして誕生したのがスクランブルローラー。アメフトの楕円のボールを使い、ローラースケートを履いてやるハンドボールのような競技で、楕円のボールには、どう跳ねるかわからないから八百長を疑われる余地がない、という意味もあった。

「高い技術を持った者同士なら、あ・うんの呼吸で動いて披露できるレベルの高いパフォーマンスがある。ストーリーを作らなくても魅せることはできる、ということで、観客の興奮度を高めるために技術を追求し、進化したかった。それこそエンターテインメントでしょ」

 練習は週2回、夜に原宿の代々木公園内で行った。そして……同じ原宿が舞台だったテレビドラマ「白い荒野」で主演した田宮二郎が、彼らが滑っているのを見て「カッコいい」と思ったそうで、「タイトルバックで映るシーンとして撮影させてほしい」と打診があった。小泉は当初、乗り気でなかったが、仲間たちが「出たい」というので引き受けた。

「田宮さんは撮影が終わったあとも寄ってくれて、『頑張ってるね』と声をかけて頂きました。その翌年ですよ、自殺されてしまったのは……」

田宮二郎からのサイン
田宮二郎からのサイン

 一期一会。田宮のお陰で、ローラースケートの映像が多くの業界関係者の目に留まり、小泉の人生は急展開していくことになる。縁遠くなっていた後楽園に顔を出せるようになった。

「スクランブルローラーのデモンストレーションをしたいというので、78年から、営業中の15分くらいの休憩タイムに試合をしてもらいました」

■演劇・ドラマに次々と演出協力

 というのは、後楽園ローラースケート場の当時の主任・小林澄夫。彼は元ローラーホッケー日本代表選手。ローラーゲームのことは最初、ショー的な要素がかなり強いから日本人の気質に合わないのでは、と冷ややかな目で見ていたという。

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