「ローラースケート場の真ん中でライブをしてもらったり、ブレイクダンスの集団・Be Bоp Crewを呼んで踊ってもらったこともあり、その中に後のTRFとなるSAMがいました。高校のバトン部の発表の場として提供したこともあり、その中に、ローラースケートを履いてマドンナを踊り、歌いたい、という女の子がいて、それが後のCHARAでした」
一方で、地方で出会った才能のある子をRITに来ないかと誘い、やってきた彼に「本気でスピードスケートをやらないか。アマチュアの選手権に出て、世界大会に行け」と言い、その後、ムラサキスポーツに就職させた。
「ムラサキで売っている商品を使い、ムラサキに遠征費を出してもらって……彼は全日本500メートルのチャンピオンになりました」
どのスポーツでも聞く課題だが、有望な素材がいても、競技を続けられる環境がなければ才能を伸ばすことができない。小泉の方針は明快だった。
「スケーターとして、ちゃんとギャラをもらって食べていけるようにする、ということ。それは僕がかつて得られなかったことで、それをベースに考えるということです」
小泉は「近所の学校に先制攻撃もしました」と笑う。RITの近くは夏休みになると暴走族が多くなる地域だそうで、学校側が、遊技場に行ってはいけない、という前に「ウチに来ているそちらの学校の生徒さんなんですが、態度が悪いんです。そういう生徒を来させないでほしいのですが」と伝えたのだ。学校側から一方的に不健全だとレッテルを貼られる前に、健全にやっています、とアピールしたのである。
小泉が振り返った暴走族とのエピソードには驚いた。
■ルール違反には反省文300回
かつての東京ボンバーズの練習場の隣には作業員の宿舎があり、そこで生まれ育った子供は選手たちと交流があった。その中の一人が暴走族のリーダーになり、RITのそばでたむろしていたという。小泉は、彼に声をかけた。