「『親に孝』ということを学校で教えないことが具体的に老人問題に響いている。机をたたいて、あなたの親でしょうといいたくなる」(※3)
当時、有吉さんはあまりにも勉強しすぎて「小説を書くときに知識や情報を削ぎ落すのが大変だった」とも言う。そうやって学んだ医学の知識や情報をふんだんにちりばめた小説だったから、読者の心情に深く突き刺さる描写が生まれた。
厚生労働省は「人生100年時代」を掲げて施策を講じている。だが、72年の男性の平均寿命は70.50歳、女性は75.94歳で、当時の老年学では、いまほど認知症の知識が明確でなかった。国内の専門書も少なかった。
東京さつきホスピタル(東京都調布市)精神科の上田諭(さとし)医師は、「有吉さんには責任がないこと」と前置きしながら、「小説の後半には人が亡くなる前の混乱状態を描写している部分もあり、エピソードのすべてが認知症の人を表現しているわけではない」と指摘する。
また、小説上の展開として、認知症が急速に進行する印象を持つが、実際には、長い時間をかけて、いくつかの症状が出てくるもので、近年、それらは介護者の対応によっておさまることもあるとわかってきている。
だから、「認知症」をこわがらないでほしい。
有吉さんの娘で、大阪芸術大学教授、作家の有吉玉青(たまお)さんはこう話す。
「研究者の方々が、母の作品をお取り上げくださいますこと、うれしく有り難く存じます。母は初期の作品から、社会的な背景をベースに小説を書いていたと強く思います。それは祖母が社会派で、家庭にはいつも社会に対する問題意識があったからかもしれません」
有吉さんは体が弱く、医師から「20歳まで生きられるかどうか」と言われていた。「作品を書き上げるごとに、入院するほどだった」と玉青さんは振り返る。しかし、「小説の続きを書きたかったのでしょう。書きたいから生きられ、書いたから生きていけたんだと思います」と話す。