刊行翌年の1973年、主人公の昭子を高峰秀子、義父の茂造を森繁久彌が演じた映画も大ヒットした=書影撮影・上田泰世(写真映像部)
刊行翌年の1973年、主人公の昭子を高峰秀子、義父の茂造を森繁久彌が演じた映画も大ヒットした=書影撮影・上田泰世(写真映像部)

■高齢社会の対策 人々に促した

 例えば、72年発行の雑誌「潮」で女優・高峰秀子さん(故人)と対談した記事で、有吉さんはこう憤っていた。

「『(この小説は)モーロクヂヂイの話だ』なんて評論家に書かれてカッときているところなの。(中略)私だって高峰さんだって、いずれああなるんだから。私、人間を冒涜したくないという配慮はしているつもりなのに、その精神を読み落とされてるのは残念だわ」(※2)

 また、同年の新潮社のPR誌「波」では、戦後の代表的な文学評論家の平野謙氏(故人)との対談で、こう話している。

「老人問題は他人ごとじゃない。私たちの問題と思えば、人ごとにしたり、突き放したりしない。(中略)小説ならば、少なくても読んでいる人に、あなたもですよ、という不気味な呼びかけができるでしょう」(※3)

 この平野氏との対談では『恍惚の人』執筆についていろいろなエピソードが記されている。

 有吉さんは、もともと、和歌山市民図書館に遺族から寄贈された蔵書の一部約1600冊が有吉佐和子文庫として収められるほどの読書家として知られる。この小説を執筆するときも、「老年学(高齢者の医学)」を5、6年学んでいた。専門書を読むだけでなく、外国へ行ったときには介護施設を見学したり、専門家を訪ねて話を聞いたりもしていたという。

 そんなふうに学んでいるうちに、「日本の三世代同居が一番老化予防になること」、このため「スウェーデン、イギリス、スイスが日本に学べと言っていること」にも有吉さんは気づく。高峰さんとの対談ではこう嘆く。

「日本はすごく遅れているというのか。例えば住宅公団だって、『核家族、核家族』なんていうものだから、老人の部屋のない建物ばかりつくっちゃって。皆が一緒に暮らせやしないじゃないの」(※2)

 60~70年代、3世代同居が当たり前だった時代から核家族化が急速に進んでいた。有吉さんは、そんな核家族化に反対していた。

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