巨人移籍2年目の中田翔が、8月11日の中日戦から不振の岡本和真に代わって4番に入り、球団の第91代4番打者になった。
中田も含めて巨人の4番を打った91人の中には、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳、落合博満、松井秀喜といった球史に残る強打者も多いが、その一方で、通算1試合から数試合限定の“ちょっとだけ4番”も少なからず存在する。
実は初代4番・永沢富士雄も、1試合限定4番だった。巨人初の公式戦となった1936年7月1日の名古屋戦に4番ファーストで出場し、3打数無安打に終わった永沢は、43年に引退するまで2度と4番を打つことがなかったが、巨人がその後、数多くの強打者を輩出したことから、「初代4番」として名を残すことになった。
また、太平洋戦争が激化した44年には、徴兵による選手不足から、日本名の須田博に改名したヴィクトル・スタルヒンが4月10日の阪急戦に4番投手で1試合出場(第11代)、後に中日などの監督を歴任した近藤貞雄も4番ファーストで2試合出場するなど(第12代)、投手も歴代4番に名を連ねている。
全盛期のONを前後に追いやり、1試合限定で第36代4番を務めたのが、柴田勲だ。
69年7月3日の阪神戦、川上監督は、3番に長嶋、5番に王を配し、柴田を4番に入れるビックリ仰天の珍オーダーを組んだ。
同年の巨人は開幕から江夏豊をまったく打てず、3試合連続完封されるなど、30イニング連続無失点と完璧に抑え込まれていた。
この日のオーダーは「今までいろいろやってみたが、みんな失敗した。だから、前々から考えていた打線にショックを与える意味で、ONを分断してみたのさ」という苦肉の策だった。試合前の練習で柴田のスイングが風を切る音を聞いた川上監督が、打撃好調を見抜いて抜擢したともいわれる。
これまでONが欠場した試合で、別の選手が代役で4番を打つことは何度かあったが、2人が元気に先発出場した試合で、どちらも4番に入らないのは珍事中の珍事。