『居酒屋と県民性』(朝日文庫)

 北海道に炉端焼の多い訳は、食材が良いので下手にいじらず焼くのが一番、あるいはまだ料理文化が進んでいない、などの説があるが私の見方はちがう。

 20年以上も前、釧路市郊外、鳥取神社隣りの、鳥取入植者の歴史を展示する「鳥取百年館」を訪ねた。明治17(1884)年、鳥取賀露港を出港した鳥取士族36戸は6日後釧路に到着。先発5戸と合流し207人が「鳥取村」を創設した。その一角にある最も初期の住居小屋の見取り図は、間取りを単純に三つに分け、一つは土間、一つは居間、一つは寝間とし、居間には土間に向けて暖をとり煮炊きする3尺×6尺の大きな炉が必ず切られていた。

 これが炉端だ。極寒の地で外から帰り、まずほっとするのは赤々と燃える火だ。また人を迎える最大のもてなしも火だ。燃える火こそが命のあかしだ。そこに料理があるのは安心の根本になる。すなわちこれが炉端焼のルーツではないか。炉端は風土に根ざし、そこの人々に本能的な安心感を抱かせるものと知った。

 酒もまた、小さな徳利でお燗(かん)してを待っていられない。炉端焼の店は火の近くの大きなヤカンにつねに適温で酒が温まり、注文すると十秒で茶碗に注いで出される。それをきゅーっとやってまずは温まり、炉端に手をあててほっとひと息いれる。かけつけ3杯とはこのこと。冷や酒は北海道に合わず、あまり注文する人もいない。暖房がゆきとどいた現代でも火を見ながらのビールが格別なのは理由がある。

 魚豊富な北海道だが、現地の人は刺身はほとんど食べず、開いて干物にするのは長い冬の保存食が基本だからだ。また北海道の人はアウトドア慣れしていて、気軽に外でジンギスカン焼をする。ジンギスカンという料理はモンゴルにはないが、第1次大戦中軍服用に羊毛を大量に供出し、余った羊肉を焼いて食べたのが始まりという。ちまちました包丁細工の刺身にあきたらない大陸的感覚といえよう。

 また北海道の人がじゃがいもに特別の気持ちを持つのは、長い間米は食べられず、日々、じゃがいもで命をつないだからだ。それはスコットランドの人が、塩害の地を何代もかけて農地改良し、最初に収穫できたのがじゃがいもで、それゆえフライドポテトを特別視するのに似ている。北海道じゃがいも食のおかずは越冬用に桶(おけ)いっぱい作っておく塩辛だけ。バターは生産しているが高価で手が出ず、そのかわり塩辛をのせて食べた。

 火の燃えるストーブはつねに人々の真ん中にあり、釧路の炉端焼居酒屋で、ちぎった新聞紙にいか塩辛をのせてストーブで焼く<塩辛の新聞紙焼>は、朝日新聞や読売はダメで、道新(北海道新聞)でないといい味にならないといううれしい話を聞いた。

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