豪華投手リレーと打線がかみ合い、指揮官としては第一次政権時代の77年以来の優勝を実現した長嶋監督は「選手を信じていました。勝利を確信していた。それに応えて、選手が燃えてくれました」と感激をあらわにし、歓喜の胴上げで5度宙を舞った。

 結果論になるが、中日も最多勝の山本昌、防御率1位の郭源治が控えており、先発・今中慎二が傷口を広げる前に投入する手もあった。今にして思えば、国民的行事にふさわしい豪華リレー対決を見たかった気もする。

 主力投手8人による完封リレーという珍事を達成したのが、80年の日本ハムだ。

 前期(当時のパ・リーグは2シーズン戦)終盤の6月26日にロッテとのV争いから脱落した日本ハム・大沢啓二監督は、7月4日開幕の後期での巻き返しを期して、主力投手たちに走り込み中心の特別練習を課した。

 そして、その成果を実戦でテストしようと考えたが、この時点で残っている前期の消化試合は、6月30日の阪急戦1試合だけだった。

 そこで、この試合に8人をまとめて登板させることにした。「消化試合だからって、遊んだんじゃないよ」と力説した大沢監督は、順番を間違えないように、8人の名前を記したメモを帽子の中に忍ばせ、イニングが変わるたびにのぞき見しながら、審判に投手交代を告げた。

 先発・岡部憲章が2回をパーフェクトに抑え、5対0とリードしたあと、3回以降は木田勇、成田文男、杉山知隆、宇田東植、佐伯和司、村上雅則、高橋直樹の7人が9回まで1イニングずつ投げるというめまぐるしいリレーになった。

 結果は7対0の快勝も、試合後は誰が勝利投手なのかで、公式記録員を悩ませることになった。

 先発しながら2回で降板した岡部以外の7人全員が候補者というややこしい話は、最終的に「先発投手に最も近く、しかも、3者三振と内容もいい」という理由で木田に白星がついた。

 1イニング投げただけで、ラッキーな10勝目が転がりこんできたドラ1ルーキーは「こんな勝ち方もいいですね」とニコニコ顔だった。

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“ファンサービス継投”が優勝の行方に影響